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縄文のビ‐ナスと諏訪大社御柱

参考:縄文のビ‐ナス(尖石縄文考古館 国宝)

  (縄文のビーナスに出会う)

赤とんぼの合宿は何時も変わらず、信州白馬は岩岳の山小屋で自炊でこの28年間続けている。従い、東京からは中央高速で諏訪湖の傍を通過して松本方面に行きます。

昔は大層不便で中央も諏訪湖で終わりで塩尻峠を越えて松本に抜けたものです。さて、何時も通過する諏訪湖についてであります。

赤とんぼの先輩の三浦OMがjoさん途中下車して”縄文のビ‐ナス”さんを拝んで行こう!と私を、諏訪湖南で高速を降り、一路、尖石縄文考古館を目指しました。

見事な気品と優しさと美しさを備えた、感動胸を打つ出会いでした。日本最古の国宝です。しかも、不思議なのは同時代のこの土偶とそっくりなビ‐ナスがフランスで出土した事です。同じ時代に同じ像を作る!これも不思議なことですね、でも実は歴史ではこのような事はよくあるそうです。

私が知っているのは秦の始皇帝の軍団の”雁行の陣形”と同時代の無敵の軍団ハンニバルの陣形が同じなのです。ハンニバルは機動部隊として(左前方)象の部隊を使い、秦の軍団は戦車隊、騎馬隊、強弓隊を使いました。

さて、縄文時代は諏訪湖近辺は野生の動物ガ豊富に生息し、木の実も豊富に存在する豊かな土地であり縄文の文明が花開いた場所だったそうです。時代は下り大和に強力な王権が生まれ、出雲との国譲りの事件が起こりました。大国主神や事代主神らは天皇家に恭順しましたが、建御名方(たけみなかた)は最後迄抵抗して信州諏訪迄落ち延び、二度とこの地を出ない事を条件に生き延びました。

日本海の直江津から安曇野にかけては古くから海人族、出雲の勢力が地盤を築いており大和の王権も簡単には攻める事が出来なかったと思われます。又、先程の尖石遺跡のように遥か縄文時代よりここには富が蓄積されていたと思われます。諏訪大社はこの建御名方神を祭っています。

先日の諏訪大社の御柱の祭りを見ていると巨大な柱を掘建て柱の技術で立てて神が宿る。これは出雲大社の16丈、32丈の高さの掘建て柱と似ていますね。三内丸山遺跡の掘建て柱も栗の木で巨大なものを立てていました。ト‐テム信仰ではないでしょうか?アメリカのインデイアンもト‐テム信仰です。環太平洋で巨大な柱を立てて、神が宿ると考えた海洋民族は今考える以上にグロ‐バルであった可能性が高いと考えざるをえません。

最後に、伊勢神宮の遷宮の話、そのときも柱が出てきますね、この辺からは三輪山迄戻りますので、友人、浅茅が原先生の領域になります、そのうちに、小説が出るかも知れませんので私はこのあたりで、止めておきます。

追加説明:建御柱(たておんばしら)の事を述べました。里曳き祭りの終盤に神社に到着すると、先端を斧で三角錘に切り落とし(冠落しの儀)最後に建御柱の儀で終わります。神域の四隅に聳え立つ御柱は7年間神社を守るんですね。

私がお話ししたのは神の依り代としての意味ですが、他にも説があります。四神ですね、北の玄武、東の青竜、西の白虎、南の朱雀として御柱は神社の聖域を守るという考え。けど、これは私は飛鳥時代にならねば輸入されなかっつた思想であると思います。謎が多いのですね。

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Comments

JOさん
 縄文のビ-ナス(国宝)は、未見です。
 諏訪のお祭りにでかけられたのですか、よいですね。
「柱」ですね。キーは。
そういえば、神様は「柱」で数えますね。

 文章よりも、さらにJOさん自身の日常がうらやましいですな。
 世界、日本、各地を見ておられる。
 出雲、海部への言及がさらりとでる。

 日本海を、出雲近辺を中軸にして、フェリーで青森から九州までおりおりに旅をせねばならないようです。

Posted by: Mu | 2004.05.08 08:35 AM

スト-ンサークルも真ん中に石の柱が立ちますね?今はお墓の説が有力だと思いますが、柱をたてるんですね。あの世とこの世を通信する為のアンテナかも知れません。さて、縄文のビ‐ナスですがそれはそれは惹かれますよ!是非、今度東京のエドルンさんのご訪問時、中央高速で行けば2時間くらいで訪問できますよ!必見です。

Posted by: jo | 2004.05.08 09:54 AM

JOさん賢いな
 エドルンを蛮地に送ると詐称して、中央高速で江戸へ行けばよいのですな。まあ、「のぞみ」チケットがすでにあるようで、今回は駄目ですがね。
 夏は、行き帰りそうすれば、旅費も木幡研から正式に出そうだし。実によいアイデアですな。

 JO社長は、あったま、いい!

追伸
 都は、ハモの落とし、季節になってきましたなぁ。鴨川の川床も、さんざめいておりまするぞ。美濃吉本店の方々も、JO坊ちゃんの来駕を、まっておるのではないでしょうかねぇ。
 梅翁なんか、ご飯やお酒を断って、待っておるような予感がしますぞえ。

Posted by: Mu | 2004.05.08 10:21 AM

真面目な話、長らく墓参失礼つかまつていますので、京都に帰る必要あるんです。週末の一日は浅茅が原の旦那に任せて、金曜あたりに京都に入り梅安さんと奈良ホテルで逗留して、土曜日に三人で鴨の河原か美濃吉で美味いもん食って、藤田ホテル泊。日曜は私は墓参りに長尾の和邇王前の親爺、御袋、兄貴の墓参りとするか。嫁はんも帰省したと言っとったな。ま~とにかく、近いうちに帰るどす。

Posted by: jo | 2004.05.08 11:29 AM

 Joさん、こんにちは。昨晩は、ばか話におつきあいくださり、ありがとうございました。
 真面目に記事についてのコメントをしますね。諏訪神社の御柱のところの「堀立て柱」の技術というのが、よくわからないんです。
 先日、奈良ででてきた「浄御原宮の正殿」もその堀立て技術で立てられていたんでしょうか?
 塾の考古学に詳しい先生が、実際に見学に行って来られて、「田んぼが約60~70cmほど掘り下げられ、人頭ぐらいの石がしきつめられていた広場」のようなところだとおしゃっていました。先生の大手ゼネコンの友人が、こんな浅いところから出土しているのはおかしい。1m以上の深さがあるはずだと言ったので、もう一度確認したら間違いなく正殿跡だということだった。と塾だよりに書いておられたんです。どうして、深さにそんなにこだわられるのかな?と思って・・・。Jo先生教えてください。

Posted by: ほかもどり | 2004.05.08 03:42 PM

私も専門家では有りませんが、朝鮮半島の寺院建築技術が伝わる迄は礎石の上に柱を立てる建築技法ではありませんでした。飛鳥寺、法隆寺などは礎石の上に柱を建てる技術だそうです。出雲から日本海の縄文から続く技術は、掘建て柱です。以前、出雲の16丈の柱の建設技術を再現する番組をNHKがやりました、これも新しい発見が沢山ありました、京都大学の土木工学ノ教授と院生が研究して今回その技術がほぼ判明したと、実験で証明していましたね。小さい石と大きい石の組み合わせとか、穴の深さ、土盛に技法がありました。以外に浅い穴を使うのには驚きました。木のクレ-ンというかそれもどきと多くの綱を使い木を持ち上げて行きます。実は、諏訪の御柱も先日、20メ-タの柱にロ-プを付け、柱に人間が乗りこの柱を建ててゆきます。そして、御幣を柱の上に取り付け、人々は柱から降ります。そして、この御柱はそのまま立ち尽くすのです。
これが神が宿つた姿ですね。テレビでも放映されていましたよ。おおむね、宮殿は掘建て柱の技術で建ててあります。平城京の内裏とかは知りませんが、飛鳥時代の宮殿は掘建て柱だと思います。但し、柱穴には砂利と玉石、大きさの異なる石を使う必要があります。柱を建てた後、ハンチクで固めるわけですが、その時大きさの異なる石ガ大事なのですね。石ノ上に柱を建てるのは飛鳥寺とか法隆寺のように屋根に重い瓦が乗らないと難しいと思いいます。瓦が伝わるのは6世紀中葉頃~かな~瓦博士も来ないとね。

Posted by: jo | 2004.05.08 04:11 PM

 早速に、詳しい解説ありがとうございました。「以外に浅い穴」を使うってところが、キーなんですね。
 これからも、またよろしくお願いします。

Posted by: ほかもどり | 2004.05.08 04:51 PM

浄御原の遺跡に関しては、板葺宮とか何層にも渡り宮殿跡に宮殿を建設したそうです。従い、柱穴の深さと石の物理的な深さが重要なんですね。今回の発掘で伝が消えたんでしょうね。柱の穴で何回建て替えたのか、深さの異なる場所では時代が異なる時に建物があったという按配でしょうね。しかし、昔は檜の板を小さく切り、屋根を葺いていたんですね。江戸時代でも屋久島ノ屋久杉は重要な屋根を葺く建築材料として出荷されて居ましたよ。昔の私の家は檜の皮を屋根に葺いていました。

Posted by: jo | 2004.05.08 05:14 PM

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Tracked on 2004.11.08 04:52 PM

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