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北河内 少年探偵団 たたかい準備

今回は、少年達のたたかいの準備についてその風景を垣間見てみましょう。

当時、昭和20年代後期の時代です、”少年” ”少年画報”が子供達の愛読必読書でした。人気は”赤胴鈴の助” ”鉄人28号” ”鉄腕アトム” が人気です。鉄人28号の正田少年が無線の操縦装置で鉄人を動かすのです。今の私がラジコン飛行機を操縦するのとあまりかわらん!それはさておき、こんな危険で、挑戦的なせんとう準備をしていました。少し、覗いてみましょう。

(十字手裏剣 危ないですね)

太い針金(当時は八幡線と呼んでいました)を切断し、10cm位の長さに切断して両側をハンマーで叩いて平らにし、研ぎます。二本を十字に束ね針金で固く結びます。これを、夕方の小学校の体育館の木造の壁を目掛けて投げる。練習ですね。これは危険過ぎるので、直ぐに止めました。隊員の一人が針金を鋭く平らにする為に某私鉄の線路に置いて見つかり、親ともども厳しいお叱りを受けたのが原因です。(絶対真似てはいけない、危険です)

(ロケットの製作)

鉛筆のキャップが当時アルミ製のものがあり、その中に下敷きで使用しているセルロイドを小さく削り押し込む。それにマッチ棒の先を削り混合する。アルミキャップの根元を叩いて閉じる。発射台とローソクを持参して人影の無い橋の下に集合する。いよいよ実験の開始です。川を目掛けて設置し、周りにスパイがいないか敵ガいないか見張りを立て、ローソクでロケットを熱します。シューパー・・・・煙を吐きながら凄いスピードでロケットは飛んでゆきましたね。大成功です。問題は、何処へ飛んでゆくか判らん事です。それと、戦略会議の結果何の役にたつか不明の為に没となりました。

(木刀 竹刀の準備)

当時、小学校の卒業旅行は伊勢神宮と二見浦への旅でした。先輩諸氏の話しでは、お伊勢さんの土産で販売されてる木刀が霊力ある刀ともっぱらの評判でした。先輩諸氏が飽きてしまった、お伊勢さんの木刀を集める事が急務となる。同時に、地元で根強い人気の武器は黒竹の根付き棒です。早速、豪農息子の甚ちゃんの山に入り、黒竹を探す。やっと見つかり、根を掘っていると怖いおじさんに見つかり、捕まる。どうやら、この豪農の息子は自分の山と他人の山の区別が出来んようやった。厳しく叱られた記憶があります。

(肥後守 小刀)

多分、団塊の世代の人で男の人ならば、必ず子供の頃には持っていたと思います。折りたたみ式の小刀”肥後守”です。これが無ければ、何も出来ない。全て自作しなければ何も無い時代でした。鉛筆削り、竹とんぼ、ゴム飛行機の製作、・・・・そんな時代です。米国に赴任した時にアメリカ人の男性は必ず、スイスアーミーナイフを持っている事に気ずきました。例の、ナイフ、缶きり、ねじ回し、なんじゃらかんじゃら付いてる万能サバイバルグッズです。まるで、私の少年時代のような雰囲気をこいつら持ってると、変に同郷意識ガ湧きました。

(落とし穴の製作)

とにかく、落とし穴だけは探偵団の生存をかけた大事な戦略的武器になると考えていました。秘密陣地の周りとか,敵に追われた時に逃げる道筋に仕掛けて置く事が肝要です。これは大層技術が必要で穂谷川の堤防の草地とか学校の近くの道路とか、田圃の畦道とか、野つぼの傍とか、田圃の玉葱を干してある傍とか、周りの状況に合わせて、判らないように製作しなければならない。当時の少年雑誌には沢山の事例研究が載せられていた。

問題は何処に仕掛けたかを、皆、阿呆やから忘れて隊員が自分で仕掛けにはまって止めることにした。

・・・・・・・続く・・・・・・  え?阿呆らしいから止めろ? もっともっと面白い阿呆な話があるんやけどな~~

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Comments

JOさん
 驚愕。
 つまり、まったく、完全にうり二つ。
 日本国では、遊びまで一緒だったのが、恐怖とともに、ああ、同胞意識をさらにもちました。

 針金じゃなくて、いわゆる五寸釘、これを京福電鉄さんに圧延してもらいましたよ(笑)
 落とし穴は、もう、奸計卑劣の極み、中に水をいれて、こねて、どろどろにして、落ちるのを隠れて観ていました。犯罪すれすれですね。

 丸太置き場の丸太で牢屋を作って、そこに弱っちい友達を押し込め、がらがらとこわしたり、・・・(何故か、自分自身が怖くなってきた。こうしてかいていると)

 アルミキャップロケットの次には、模型とラジオの会社から通販で「模型用固形ロケット燃料」を買いました。これを、同燃料をすぽっと嵌めるアルミケース(丸い)にいれて、導火線で発火です。これはエンジンと称して、ロケットらしいバルサ材の機体に付けるのです。

 ・・・
旧悪が一遍に甦り、しんどくなったので、これくらい。

Posted by: Mu | 2004.05.24 11:39 PM

やはり先輩も犯罪スレスレご経験ですか?子供は凶暴なのですね?怖い事を平気でやるんですね。そこから、何処までやるとやばいか?判断を身体が覚えてゆく。テレビゲームではその按配が判らん。五寸釘も勿論やりましたよ。これは定番ですね。
その後、アメリカでは固形燃料のロケットが今でも流行で赤とんぼの合宿に持ち込み、白馬で今でも飛ばしています。

Posted by: jo | 2004.05.25 05:39 AM

JOさん
 読んでておもいだしました。
 現在なら補導されるようなことを、小学校高学年時やっておりました。

 詳細を書くのははばかられるので、簡単に。

1.線香花火を造った。模型とラジオという雑誌の化学実験ページを参考にして。
2.材料は3種類。一つは自宅で採取。残り二つは出入りの薬局の兄ちゃんから(化学少年だったので、フェノールフタレンとか、リトマス試験紙を常時そろえていた)。薬包紙に包んで小分けで買っていた。
3.で、意外な事実。せんこう花火とは、すなわち古典的「黒色火薬」だったんです。

 おお、恐ろしい。
 それは、ふたつ。
1.Muは結局、小学校時代、火薬を製造していた!
2.Muは、自宅ボロ屋の倉庫を実験室にし、典型的なマッドサイエンティストだった。ありとあらゆる怖いことをしていた。火薬から解剖まで!

 以上は、実話です。

Posted by: Mu | 2004.12.15 04:47 PM

Muさん

あんさんも、悪(わる)やな!

勿論、私も火薬を製造してました。それは、当時塾に通ってましてね、ボーイスカウトの団長さんのお家でした。

先生は息子さん二人で、当時、京大の医学部に通う秀才でした。そこで、夏に、花火を製造しようという事になり、先生が火薬の材料を仕入れて来て、黒炭とか亜鉛とか硫黄とかいろんな原料を集めて来た。

先生が花火の仕組みについて、説明し科学である事を詳細に説明してましたな~~。

今やと、危ないないね。なんちゅう教育しとったんやろね。

Posted by: jo | 2004.12.15 05:00 PM

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