« 卑弥呼の鏡 2004年5月16日 | Main | 梅安先生アメリカを行く »

身代わり土偶から呪いの人形へ

諏訪湖の尖石遺跡の縄文のビーナスについては、以前blogしましたが、不思議と発掘される、土偶で完全に五体満足で出土する事は殆ど無いそうです。考古学者のお話では、身代わりの思想で自分の子供とか家族、自分自身の病気の部分を欠損させ祭祀をしたのではないかと、言われている。身代わりになってもらうんですね。遮光土偶でしたっけ?あの有名な宇宙人のような土偶も確か、片足が有りませんでしたね。流し雛の風習も悪い病気がついた自分の代わりに、川であの世を目指し流すんでしょうか。巣鴨の刺抜き地蔵さんは、人さまの悪い所の病気を請け負う形ですね。これは仏教の古い考えでしょうか? 元々、偶像は無かったわけですから、仏教の考えでは無いように思えます。もっと古代に逆上る風習ではなかったか?と思います。少し、話はそれますが三内丸山遺跡での話ですが、確か子供が幼く死亡すると壺にいれて、竪穴式住居の入り口の地下に埋めたそうです。お母さんとか女性が跨ぐわけですから、又、生まれ変わってこの世に生を受けると考えたようです。幼児の死亡率の高かった時代において、なんと優しい考え方ではないでしょうか。考古学とか民族学に興味がある私としては、葬送儀礼に民族の伝統的思想が宿っていると思っています。海部族の海洋民族系統では舟形棺桶を使いますね。南方の何処かの国では大木に孔を穿ち遺体を収め、数年後には木の修復能力により木は遺体を抱き込んでしまいます。森の民族の葬送儀礼ですね。この系統で昔、アジアの民話の収集をしていた時、『かぐや姫』伝説のルーツを求め台湾からフィリピンに取材を進めた時に出会った巨大な竹(直径 1メータはあろうかという竹)に出会いなる程『かぐや姫』は竹から産まれておかしくないと納得した。さて、本題の呪いの人形ですが、何でこの様なものが平城京、飛鳥京の井戸とか側溝から出てくるか? です。縄文時代には無かった風習が何故生まれたのか? 不思議です。奈良文化財研究所は平城京の発掘を長く続けておられ、膨大な数の呪い人形を発掘した。稲作が進み富の蓄積が始まり、権力構造が出来、先進国の中国が強大な官僚国家に変貌し、倭国も進化しなければ蛮族扱い。今に通じるサラリーマン悲哀が生まれて来たのと関係が深いのでしょうか。

|

« 卑弥呼の鏡 2004年5月16日 | Main | 梅安先生アメリカを行く »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

JOさん
 貴船神社でいまでもあるかもしれない、例の丑の刻参り、ってのは呪い人形と同質かな。
 それから安倍晴明さんの、「式を打て」の、紙人形も呪いだろうね。
 おお。JOさんは呪術世界も深いな。

Posted by: Mu | 2004.05.18 12:55 AM

飛鳥、平城、平安京は四禽風水で守られている。北、西、東に山が配置され、東に川が流れ西に道が開ける、内裏南に気が吹き出す池を配置、その南に流れる気を朱雀門で封じ込め気が平安京に充満するように出来ている。北は玄武、東は青龍、西は白虎、南は朱雀の四禽神が守る鉄壁の都である。弱点の鬼門方角には比叡山延暦寺を配置、鬼の侵入を阻止せしめた。古い、葛城の山の民の伝承『役の小角』の修験道の霊力は平安京時代に最澄、空海が持ち帰った最新の密教の教義も加わり平安時代は独特の日本固有の精神世界が展開したと想像できますね。呪い人形についてはあまり語りたくないです。

Posted by: jo | 2004.05.18 10:34 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 身代わり土偶から呪いの人形へ:

« 卑弥呼の鏡 2004年5月16日 | Main | 梅安先生アメリカを行く »