三国志と卑弥呼
日本人の多くの人々と中国の人々も三国志は好きだ。私もファンの一人です。又、日本人で卑弥呼を知らない人はいないと思う。
私の謎は卑弥呼は魏より銅鏡百枚もの異常の賜物を頂いた事です。長く、疑問でありました。
(三角縁神獣鏡)
最近天理市南部にある大和(おおやまと)・柳本古墳群に属する黒塚古墳より三角縁神獣鏡三十三面の大量発掘がありました。この数は京都府椿井大塚山古墳と同数である。異常な数が発掘されました、注目は卑弥呼が魏より頂いた鏡が三角縁神獣鏡ではないかと言われています。さて、鏡の分析とか科学的な検討は考古学者の方々が専門にされています。私は何故、大国の魏が邪馬台国の女王に破格の賜物をしたかでした。
(国際情勢)
それではその頃の世界情勢をみましょう。皆様ご存知の三国志の時代です、魏、呉、蜀と分かれていましたね。もう一つ大事なのは朝鮮半島なのです、公孫淵が帯方郡を支配して中国の言うことを聞きませんでした。昔の高句麗の時代より武力の強い国ですね。当時、呉の海洋民族国家は中国沿岸の海を支配していました。海人族ですね。呉は魏と戦う為に朝鮮半島の帯方郡の公孫淵と提携しようとしました。そして、魏に圧力をかける算段ですね。魏はなんとしてもこの同盟を阻止しなければなりません。そこで、魏にとり海洋民族である倭国に目をつけ、見方にして縦の同盟を横で切る戦略を考えたと私は思います。
(公孫淵滅亡)
魏は大陸の国です、海軍力は乏しい国です、呉は強大な海軍国家です。歴史は魏の明帝が238年~247年帯方郡を攻め滅ぼします。卑弥呼は240年、243年、245年と帯方郡と接触します。学校で習う歴史としては、卑弥呼が国際情勢に敏感で帯方郡が滅び公孫淵の滅亡により朝鮮半島の緊迫した変化と倭の国のいち早い対応の為に魏に接触したと考えられています。
(魏と卑弥呼戦略提携)
しかし、私は魏の国にとり蜀も相手にしなければならない、呉も何時蜀と同盟し攻めてくるかもしれない、しかも、帯方郡の公孫淵が密かに魏を狙う!このような国際情勢では魏の国が倭国(邪馬台国)、海軍力に優れた国を見方につけようと考えてもおかしくないと思います。
(卑弥呼の優れた外交感覚)
三国志は三国志演義として14世紀に生まれたものです、本当に当時の国際情勢を反映しているとは思えないです。(中国内の話が中心になりますね)。最後に邪馬台国は実は東アジアの歴史に於いて大活躍したんだと、考えるだけでも面白く有りませんか?卑弥呼は大変な国際外交に優れた巫女さんでした。
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Comments
JOさん
サマライズすると、
0.魏は卑弥呼に高価な銅鏡百枚を贈ったという。
1.「柳本古墳群に属する黒塚古墳より三角縁神獣鏡三十三面の大量発掘がありました。この数は京都府椿井大塚山古墳と同数である。
2.大国魏は明確な政治思考でこれを行った。そして卑弥呼も国際政治感覚を働かせて、魏と交渉をもった。
3.魏は大国だが内陸に属し、海軍がない。
4.魏は公孫淵と、呉との二面から圧迫を受けていた。
5.ともに海に強い。
6.魏は、海洋民族(倭寇)性格をもつ倭とよしみを通じた。
と、こんなもんでしょうか。90分講義を三つ済ませた後で、いささか脳に疲労あり。
だが、銅鏡百枚は伊達や酔狂の贈り物じゃなかったと思いました。
Posted by: MuBlog | 2004.05.10 04:29 PM
ロマンと思って下さい、銅鏡に関しては考古学・歴史学の先生が数十年かけて研究しても難しい世界なので素人には手が出せません。しかし、軍事同盟が成立したあと『日の巫女(卑弥呼)』は殺されますね。いろんな説が有りますが、日食により霊力が落ちたとか、クナ国の戦闘に破れたとか、・・けど私のロマンはこの軍事同盟に反対する勢力に暗殺されたと思います。それは、呉の国か昔、呉の国から倭に移住して来ていた邪馬台国の何処かの国、又は、公孫淵に関わる国か、・・
物事を国内だけで考えるよりも面白いと思います。それぐらい、国際的な政治環境ではなかったのか?と思います。呉の海部族については、今度又、少しblogに書きます。
Posted by: jo | 2004.05.10 05:11 PM