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巣鴨の狸村 パプア君の巻

今回はパプア君のお話です。 彼の容貌から生まれがパプアニューギニアであると噂があり、興味があるのでお付き合いを始めた。

(生まれは 渥美半島)
彼を誘い出し、巣鴨村で狸の顧客が多い、『おかか』という居酒屋で生い立ちを取材した。
このお店の女主人は愛称『タヌ子』と呼ばれる、愛嬌のある女将さんで、我々を快く何時も受け入れてくれる女神のようなおひとである。パプア君はこの女将が気に入り、毎夜出没しているらしい。

彼の話によれば、生まれは渥美半島の漁師の息子である。私は歴史学者なので即、出雲族であると気がついた。
実は私の母は姓名が『渥美』である。渥美半島を治めていたが、移封により山形に幕藩体制で移り、かすみ町で育った。藩士の娘である。
話はそれましたが、司馬遼太郎さんの説によれば、渥美=熱海=安曇 =安積 所謂、出雲族であるという。大国主さんとか大物主さんが大和の三輪山で祟神さまが王朝をおたてる前に王権を建てられていた、あの出雲族である。

(子供の頃の思い出)

島崎藤村の詩で『椰子の実』は皆様御存じですね、彼の子供の頃には海岸に椰子の実が何時も、打ち上げられており、時には、芽を出している。戦後未だ10年しか経過していない時代です、食い物が無い時代です。彼は、島崎藤村の詩にロマンチックに浸る余裕が無い。自転車を海岸迄持ち出し、夕暮れとともに一生懸命にペダルを漕ぎライトを海岸の波間に照射する。魚が集まるそうなんですね? そしてどのように捕獲したか、忘れました。

(寮の管理人 女狐に騙される)

純情なパプア君は浪速の土地に赴任し、寮に入る事になった。管理人が妖艶な女狐ですくなからず、彼も気になる存在であった。とある朝、寝坊して遅れて狸会社に出社しようと部屋で準備してると、ノックがあり彼女である。
叔父様が病気でお金に困っている、30万程必要なり。困っている。彼は、手元に1万円しかない、しかし彼はやはりこの女狐は俺に頼るしか無い、俺に気があるんだと解釈する。銀行に行き有り金チェックするが、数万しかない。
実家に電話して親に浪速迄残りの二十数万を持って来てもらう。彼女に手渡した。
そんな、ある日突然に管理人の女狐は姿をくらました。彼女に金を貸した鼻の下の長い寮の男狸どもはほぼ全員であった。その事件以降、彼は女狐不信になった。

(余生について)

彼は今、とある会社の専務をしているが、引退すると『椰子の実』の故郷に帰るそうです。私の部屋を用意してそこにラジコン飛行機を格納させてくれるそうです。海岸には別荘を持ち、波の音を聴きながら杯を重ねる事を楽しみにしている。帰りには地元名産のメロンを沢山私に持たせて帰すそうです。話だけでも、有り難い。

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5月30日千葉飛行会 無事終了

無事、千葉飛行会も終了しました。模様はマイフォトに写真を掲載しました。
朝6時に起床し横浜組三人は一台の車で向かい、三浦OM,西郷OMは各自車で、千葉北”ふるさとステーション”で予定より30分早く集合できました。8時には集合出来、現地飛行場に向かいました。
(ともかく暑い)
今日の暑さは真夏の暑さ!天気予報はあてにならん。
本日の結果
・二人のOMの飛行機は無事、飛行できた。大成功でしょう。自信を持って夏合宿へ。
・かっちんは”セダクション”墜落大破!最近調子ガ悪い。エンジントラブルに遭遇する。
・わこちゃん、いつも通り自作機墜落大破! しかし、電動機”豚バス”ハ快調。
・千葉親爺は絶好調である。トルクロールも決まる
・JOさんは”バレリーナ”墜落大破! ”スカイビンボー”は給油系統にトラブルあり、離陸できず。”カルマート25 スポーツ”は絶好調。しかし、変な音がする。
・空中戦はたのしかった。機体につけた10メータのリボンを切りあう。ドッグファイトガ面白かった。

ビデイオ撮影していますので、そのうちかっちんが編集してくれると思います。

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ロンドン 自然史博物館

海外出張が昔、仕事柄多くアメリカ、イギリス、オーストラリアによく出かけていた。
そんな折に、時折数時間暇な時間が出来ます(作ります)ので博物館とか美術館を眺めるのが楽しかったです。

イギリスはロンドンにも何回か仕事ででかける事があり、印象に強く残った断片を記してみます。
(自然史博物館)
確か、BBCさんと提携して仕事をしていた時の事ですね。年に一回世界中のテレビ局の海外コンテンツを扱う人々が集まり、BBCのコンテンツを紹介、買い付ける、又、新規企画中のコンテンツの共同企画とかそんな仕事で出掛けた時の話しです。
ロンドンから車で2時間くらい南下した港で開催されており会議に参加していました。その時は
アッテンボローさんの次の番組の企画の交渉でした。仕事は数日で終わり、ロンドンに汽車で帰ることになり、確か
ケンジントンの近くのホテルに宿泊しました。
時間に余裕があり、近くの自然史博物館を訪れました。
ンドン自然史博物館
自然史博物館はその国の自然の歴史とか、皆さんの好きな”恐竜”の展示があり実に楽しいものです。
シカゴの自然史博物館も大好きで何回も、訪問した記憶があります。

さてこの、時間つぶしででかけたロンドンの博物館では不思議な印象に残るものを観ました。

(葉っぱを運ぶ蟻さん)

テレビでは見たことあるが、なんと自然のまま多くの蟻さんが背中に葉っぱを背負いねぐらに向っている。ねぐらではその葉を貯蔵している。そして、その葉を発酵させている。蟻の世界を全て閉空間でそのまま見せている、生活そのものを見ることができました。これには感動しましたね。博物館が生きているのですね。素晴らしいです。

そして、間違ってそのへんのドアーを開けると、研究者の人が居ます。ここは研究所でもあるんですよ!と言われました、私は博物館とは展示してる単なるイベント・ホールとばかり思っていましたが、浅学でした。

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露天・ガレージ各種販売

アメリカ・日本各地の露天商売について少し、お話ししましょう。
(ガレージ・セール)
米国での休日の楽しみの一つにガレージ・セールをひやかす事にあります。
住宅地をプラプラ車を走らせていると、必ず何処かでガレージ・セールをしている。その名の通り、道に面したガレージをOPENしてガラクタを前庭一杯に広げている。値段をつけてる場合もあるし、そうでない場合もある。
不思議なのは、アメリカ人は人が着た古着を平気で買う神経である。概ね、サンノゼ付近は中流家庭以上であるが
日本に比較すると女性の着るものが貧相である。ペラペラの安物の衣服を何時も着ている。ブランド品などは私は米国駐在中に着てる人を見たことない。日本は異常であると思う。若い女性がブランドの服を着る、アメリカでは先ず有りえない。フランスでも先ず聴いた事が無い。
さて、私は駐在期間の間で、一度古いタイプライターを購入した事がある。昔懐かしいタイプライターである。鍵盤を押すとハンマーが飛び出し、ロール紙に打ちつける。これが面白く、正確に飛び出しては文字を打つ。米国に来る前には映画で女性秘書が猛烈な勢いでタイプライターを打つ姿に憧れていた。これを多分、20ドル位で手に入れた。
子供達も新しい玩具が欲しいのか、使いふるした玩具を販売している。しかし、日本に比較して買えるようなものは無い。
(蚤の市)
これは近所の広場、公園で定期的に開催されているので、よく友人家族と連れ立ってゆきました。
駐車場とか路上駐車してると、車のフォイールを盗まれます。米国車は車に簡単にはめこむだけですから、簡単に外れます。私もよく盗まれました。蚤の市にゆくと沢山、盗まれた車のフォイールが売られています。アメリカ人は日本人と比較して古くなったからといって、棄てません。大事に使いますね。だから、いいかんげんにこんなもん売るな!と言いたくなるような物迄売っている。
(私もやった)
帰国が近ずいたので、私もガレージセールをした。日本から持ち込んだ、御餅製造機とか、アメリカで購入したタイプライターとかアマチュア無線の機材とかクリスマス用の家を飾る電飾機材とか・・・・。
日本人の駐在員の連中ばかりが来て、義理で買ってゆきました。

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アメリカ ミステリースポット

昔日本のテレビで紹介されたミステリー・スポットのお話しです。
(ミステリー・スポットとは)
確か大橋巨泉さんの11PMという番組でしょうか?米国のとある特別の場所で地磁気が乱れている場所がある。
山小屋のようなお家で、ボールがレールというか樋の中を上に向かい転がる不思議な場所があるんです。まるで地球物理学をあざ笑うようなテレビ番組でした。
(日本からの 客人)
私が、カリフォルニア・サンノゼに赴任して1年後あたりですが日本から二人のお姉さんの子供達が夏休みで遊びに来ました。ヨセミテとかロスのデズニーランドとか連れて行きましたが、彼等は是非”ミステリースポット”に連れてゆけと言います。現地のアメリカ人に聞いても誰も知らない。そうすると、子供達は日本から地図を持参し場所を示すのです。日本の調査能力の凄さに驚く。さて、それではと、子供達三人を連れて秘密の場所、現地人も知らない場所へと向かいました。
(本当に あった)
サンノゼから一時間ほど南下すると、モントレー湾に着きます。ここは湾にラッコが沢山生息している事で有名ですね。海に潜り貝と石ころを拾いお腹の上で器用に貝を砕き食べています。夜は20メータ以上ある昆布のような海草を身体に巻いて海流に流されるの防ぐ。海草が海底から20メータです、海面にプカプカ浮いてます。水族館で有名ですね。さてさて、寄り道はそれくらいでそこからもう少し、山に入りますとミステリースポットが有りました。
現地人も知らない、遥か太平洋を離れた日本でブームになっている場所です。
(驚愕 物理学は間違いだ!)
森の中にその不思議な山小屋はありました。子供達は胸ワクワクです。現場案内人のアメリカ人が先ず、解説します。昔、ここに巨大な隕石が衝突しここら一帯の地磁気が乱れましたとさ。しかし、不思議やな~~穴があらへん。
ま~長い年月の間に土砂崩れでもあったんやろ。家の中に入ると、不思議や頭がおかしい、それで日本の子供達の言う通りボールが上に向かい転げてゆく~~~。私も今まで勉強してきた事が否定され、家路に急いだ。

後日、よくよく考えると山小屋は崖に斜めに建ててあり、外の景色(客観的水平)が見えない為に家の中の水平は間違いで傾いているんです。だから、上に向かいボールは転がるように見えるだけ!あ~あほらし。

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石上神社と出雲

司馬さんの『街道をゆく』 石上神社を再読していて、そう言えばMuBlog(浅茅ヶ原先生)の淡路島の石上神社の記事を思いだしたので、感想を記します。
(石上神社と磐座信仰)
・先ず石上神社は『いそのかみじんじゃ)』と発音します。司馬説は昔大和盆地が湖で覆われていた頃、三輪山山麓のこの地が磯であった。だから『いそ』である。 当時は出雲族が支配しており、(大物主、大国主)そこに崇神さんが何処からか来られ、制圧された。
・当時、大和は三輪山山麓のミワ族と葛城山麓のカモ族、ともに出雲族が支配していた。
・支配形態は巫女さんが君臨していた。
・信仰は磐座信仰であった。淡路島の石上神社もともに、磐座が鎮座している。
(十束の剣ー十挙剣 の発掘か?)
・岡山県赤磐郡吉井町に『石上布都魂神社』が存在する。出雲の素盞鳴さんを祭神とするが元は八岐大蛇を切断した 刀である十束の剣を祭神としていた。
・崇神さんがこの剣を大和の石上神社に奉納し禁足地に埋めた。同時に、大和で刀狩りを行ない全ての武器を石上神社に集結させ、武器庫とした。そして物部氏の先祖に守らせた。
・明治7年、禁足地を発掘すると伝説通りに剣と銅鏡と勾玉が発掘された。明治天皇にお見せして、複製を一振り作りそれを岡山の『石上布都魂神社』に下賜された。本物は大和の『石上神社』に返還され、それ以後、誰の目にも
触れてはいない。秘中の秘となる。
(日置 太陽の道)
・伊勢神宮ー長谷寺ー三輪山ー二上山ー日置神社 と太陽の道に並ぶ神社は全て、磐座信仰の神社であり出雲との関係が深い。(伊勢神宮に関しては、Muさんのトンデモ説があり天照さんは巫女さんで祭神は磐座だったと)

戦後50年の歴史学者さんは日本書紀、古事記に書かれているお話をあまり信用なさらぬ風潮がありました。しかし何らかの伝承・口伝・がいろんな氏族に残っており、全く嘘で固めた話ではないのでは・・・・・と思います。
このあたりは、ロマンとして私達は想像をたくましくして日本の叙事詩を楽しみたいと思います。

尚、大和『石上神社』にある国宝『七枝刀』には61文字が金象眼され百済と倭国の関係が深い事を示す。
西暦361年の頃だそうです。日本書紀には神功皇后の時代記事に『七枝刀』と百済の記事がある。

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英会話上達法 教えます!

私がどのようにして英会話が出来るようになったか? 今までの参考書にない秘策をここだけの話として教えましょう。但し、実践英会話です。
(1)先ず、アマチュア無線の免許をとりましょう
 まるで関係無い世界と世間の人は誤解するが、先ずアマチュア無線の免許をとるのが、上達の秘訣である。
 外人と話すのが怖いとか、何の話して良いのか判らんとか、要は相手の顔が面前にあるから恐怖心が湧く。
 従い、無線の海外通信でCQ CQ と誰でもいいから暇な外人おらんか~~と呼ぶ。相手が出てきたら、ハム
 仲間で決まりの事を英語で喋る。相手の感度とか、アンテナの種類とか、無線機の種類とか・・・・。要は
 英語だろうが、スワヒリ語だろうが何でも関係無い。用は決まりのテンプレートに従い紙に書いた英文を読む。
 相手の英語なんて判らんで宜しい、どうせ同じような事を喋っとる。しかし、規定の交信が終わると、相手は
 勝手に色んな事を聞いてきょうる。判る範囲は答えて、判らん事は無視する。にっちもさっちも行かないように
 なると、最後の奥の手やな、電離層の状態が悪いさかい聴こえん・・・・と言ってサイナラ。どうです、怖くない
 でしょう?貴方も明日からハムの免許をとりませう。
(2)自分の土俵を持つ
 これが大事やな。だいたいアメリカ人は自分のペースで話したがる。これに乗ると自分の不得意な世界で会話
 が始まる。こうなると、幾等英語が上達しても苦労する。従い、自分の世界で話をする。私はラジコン飛行機と
 日本の古代史と関西文化に造詣が深いので、多少日本語が混ざろうが、英語に単語が無いと言えば済む。
 概ね、アメリカ人は歴史がないので、古いもんに弱い。私の周りのアメリカ人は私が帰国する頃には、関西通
 になっていましたよ。今でも本当は都は京都やとか、淀川が日本で一番大きな川やとか・・・・。
(3)単語を探さず、映像を解説しなさい
 話を伝えたい時には、英語の単語を探すのではなく、イメージする映像を解説してゆけば良い。簡単な単語を
 使い、あらゆる角度から説明をする。相手は、最初こいつは阿呆やな~と思うが、確実に相手の外人は映像
 が出来てくる。必ず、判らない単語が有ります、思い出せない受験の時に勉強した単語ガ思いだせない。
 いいんです、違う方向からその単語で表現したかった事を解説すればよい。
(4)関西弁を学ぶ
 私の経験によれば、日本人で見事な英語を駆使する人に関西人が多い。 言語学的?に理由があります。
 英語は多くがアフタービート(単語の後にアクセントがある)なのですね。関東から東北にかけての言語は
 フロントビートなのです。所謂、演歌の世界なのです。つ!がる か!いきょう~ (津軽海峡冬景色)という
 按配ですね。関西弁はアフタービートなのです。おまえな!~~あほちゃうか!あ~。お分かりですね関西弁
 と英語とはアクセントが同じなんです。これが、英会話では威力を発揮します、関西人が喋るとほんま外人
 が喋っているように聴こえます。
(5)冗談を常に考える
 私のように、日頃から冗談の塊のような人間は苦労しませんが、不得意な人は是非、日本人相手で日頃から
 冗談を見つける、会話の中で相手を突っ込む訓練、ボケる訓練をつんでください。

以上、実践英会話教室でした。この話はここだけにして下さい、貴重な本邦初の話ですからね。

そうそう大事な事忘れてた!喋る前に必ず、論旨を論理的に組み立てておく事が大事です。私のblogのように論旨が無茶苦茶では、絶対にアメリカ人には伝わりません。

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法隆寺の秘話 

法隆寺の秘話 高田良信 著  ISBN4-09-820100-3 980円 小学館 昭和60年11月10日 初版
(帯)
太子のみ寺として一千四百年近い歴史を秘める法隆寺の数々のエピソードと謎を解明する。
”開かれた法隆寺”の実現をめざす一学僧による法隆寺百科。
(目次)
・法隆寺の歴史に魅せられて
・法隆寺のたどった道
・法隆寺にまつわる謎 ・・・・・法隆寺の七不思議
・歴史的問題・・・・法隆寺焼失にまつわる諸問題 若草の礎石について 最近の発掘成果
・聖徳太子の寺として
・僧坊の制度
・法隆寺の宝物とその由来
・おわりに・・・・藤ノ木古墳と私 法隆寺昭和資材帳作成への道

皆さん七不思議に興味があるでしょう?
(1)伽藍の建物に蜘蛛の巣が張らない
(2)地面にあまだれの穴があかない
(3)五重塔の九輪に四本の鎌がある
(4)法隆寺の境内に三つの伏蔵がある
(5)因可池(よるかのいけ)に片目の蛙がいる
(6)南大門の前に鯛石という石がある
(7)夢殿でお水取りという行事がある
(8)雀も伽藍の堂塔に糞をかけない
(9)舎利から太子が見える
(10)不明門と不閉門がある

尚、藤ノ木古墳については”祟峻天皇御陵説”です。

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巣鴨の狸村 蝦夷地のてつ坊

黒狸との出会いは35年前に逆上ります。市が尾の狸山に生息していた頃です。彼は蝦夷地の日高山脈の山奥で育ち文明に接したのは高校生になり、札幌に下宿して山を降りてきた時からなのです。
(父は分校の先生)
全校生徒で数人しかいない山奥で、あとの生徒はキタキツネとひ熊と・・・・。彼は人一倍手足が大きく、驚きました。どうやら、この山奥での生活の中で環境に適応し進化したのでした。ターザンのように木から木へ飛び移り、ひ熊の攻撃から逃げ延びたそうです。
(ランプ生活としゃけ漁)
出雲の狸と同様に彼もランプ生活でした、子供の仕事はホヤ(ガラス筒)を磨く事です。食料はしゃけです。問題は競争相手のひ熊としゃけ漁を巡り、漁場争いが絶えない日々を過ごしたそうです。本当にひ熊は難儀なやつで、お腹しか食べないし、漫画のように紐にしゃけを数匹ぶら下げてねぐらに帰るような真似は出来ない。散らかし放題! てつ坊は毎日ひ熊が散らかした漁場を掃除していたそうです。
(活動写真が村に来る)
夏になると、楽しみは巡回で映画が村に来る事です。広場に大きな幕を張り、発動機を始動させ電気をつくる。子供達は待ちきれなくて、お昼頃から手伝いをする。今日の映画は何だろう? 必ず、ニュース映像が最初にあるが、内容は判らない。(難しい世間の事やし、都会の話やから判らん) それでも、江戸川乱歩の『怪人二十面相』なんかだと、もう嬉しくて嬉しくて・・・・。一応、少年雑誌『少年』『少年画報』とかは数カ月遅れで届いていたそうだ。
野外での投影であるので、虫が沢山飛んでくる、スクリーンにへばりつく。ひ熊もキタキツネも一緒に映画鑑賞したそうです。

その後、高校生になり都会の札幌に降りてきて、電灯という文明の利器にふれ、大きな感動が原動力となり、北大の応用物理に進み、コンピュータの技術者になった。

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アメリカとのお別れ

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米国赴任を終え、帰国の時となりました。
写真は富士通アメリカの同僚達の寄せ書きです。右の写真集は記念品
です。  ISBN0 517 460149 407ページの写真集です。
 A Photographic Portrait of all The United States
and Our Natin's Capital
"AMERICA The Fifty States"

私への送別金は全て、当時改装中の自由の女神の補修費用の一部に寄付
されました。
アメリカに移住する人々にとり、最初に出会うのが自由の女神です。この島で
昔は入国手続をして、許されるとマンハッタンに上陸したのです。
移住者にとり自由の女神は守り神だったのですね。
パリのセーヌ川にも自由の女神はおられます。
私の名前は寄付者の一人として、自由の女神に刻まれて米国を去りました。

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新しい コーヒーショップ

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本日又、近くに新しいコーヒーショップが誕生しました。桜田門通りです。
ベローチェの隣です。はやるんやろか?

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街道をゆく 

街道をゆく 司馬遼太郎 0026-253928-0042 朝日新聞社 昭和46年9月25日 第一刷発行 520円

(扉)本書には”週刊朝日”昭和46年1月1日号・連載第一回から7月9日号・第二十八回分迄を収録

 目次
・楽浪の志賀
・湖西の安曇人
・朽木渓谷
・朽木の興聖寺
・大和石上へ
・布留の里
・つば市
・三輪山
・葛城山
・竹内越
・武蔵のくに
・甲州街道
・慶喜のこと
・小仏峠
・武州の辺境
・葛城みち
・葛城の高丘
・一言主神社
・高鴨の地
・長州路
・壇ノ浦付近
・海の道
・三田尻その他
・湯田
・騎兵隊ランチ
・瑠璃光寺など
・津和野から益田へ
・吉田稔麿の家

司馬さんが死ぬまで続けられた、ライフワーク”街道をゆく”の原点がこの一冊です。
語り部、司馬さんには時空を越えて風景が見える。司馬さんの小説、対談集、は殆ど読みましたが、街道をゆくは全ては読んでいない。これからの人生、”街道をゆく”を片手に旅をする事を楽しみに残してある。

最晩年に小学生の教科書に書かれた”21世紀を生きる子供達へ”。私は、その文章の中で、21世紀の時空で彼が子供達に出会い、話し掛ける場面で涙が出た。

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5月30日(日) 千葉飛行会(予告)

夏合宿に備え、OM(Old Man)の強化訓練を行う!
主役二名
・三浦最高顧問・・・・・電動機 ムサシノ模型『プレーリ号』バルサ制作
エルロン、ラダー、エレベータ、モータ出力制御
の4チャンネル制御機。ムサシノ540モータ搭載。
・特別招待選手
上野銅像弟末裔
・・・・・翼長2メータのモータグライダー 詳細不明
高校生時代『ラジコンクラブ所属』 45年振りに復帰
・スタッフ一同
千葉ラジコン親爺
・・・・・飛行場管理人 今回はトルクロール機で訓練
最近は空中戦に凝っており、JO氏とのリボン切り
空中戦に意欲を燃やしている。(先週 相手機を撃墜
し、自分の飛行機も墜落大破したそうだ)
かっちん ・・・・・『セダクション』スタント機でアクロバット飛行訓練
わこちゃん ・・・・・自作『零戦』及び、その他作り貯めてる飛行機持参
JO ・・・・・『カルマート25スポーツ』及び、千葉飛行場待機の
『バレリーナ』で基本演技の練習
・リボン切り(空中戦) 解説
飛行機の重心位置である場所に(胴体下部)、紙テープ(例の港でお別れ
する時に投げるやつ)を約10メータ接着します。飛行機は離陸し空中で
相手のリボンをプロペラで切断した機体が勝ちとなる。
往々にして、地上で10メータは距離があると思うが空中では極めて
短い感覚となる。従い、相手の機体を目掛けてギッリギリ衝突を覚悟
で突っ込まないとテープは切れない。従い、必然的に二機とも空中で
大破バラバラになり藻屑となり、花吹雪となり地上に落下する。

当日の模様は後日、公表出来る部分は公表します。多分、マル秘が多い
のでどうなる事でせうか?

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サンノゼ Kマート

前回はスーパー”Safe Way”のお話しをしましたね、今回は雑貨屋スーパーの”Kマート”のお話しです。
(クリスマス・ツリーを買う)
毎年12月になると、会社の秘書連中と連れ立ちクリスマス・ツリーを買いに山へ行きます。どうやら”ファーツリー”は4~5年で育つらしく、山を分割してクリスマス・ツリーを植林している。1年目、2年目、3年目、4年目という按配に場所を分割して植林している。4~5年目の木を切るんですね、それを車の上とかトランクに突っ込み木の半分くらい顔を出さして自宅迄運びます。
さて、ここから、何時も問題が発生する。玄関から入らない! 現地の山ではそれ程大きくないと考えても、実際自宅に持ち帰ると巨大である。玄関前で又、鋸で切断するはめになる。部屋の中がもみの木の香りが充満して、あ~クリスマスが来たんだ!そんな感じです。
表の通りからわざと見える場所に設置して、オーナメントを飾ります。毎年、各地で集めたツリーを飾る人形とかガラス製品とかを飾ります。アメリカでは木で出来たトナカイとか西部開拓時代の古い道具とか、もうめちゃめちゃ子供が喜びそうな飾り物が有ります。私もその後10年くらいは日本に帰国後も米国に出張すれば必ず、ツリーのオーナメントを買い求めました。
クリスマス・シーズンのサンノゼの住宅街の美しさは目を見張ります。夕方になると、すべてのお家が色とりどりの電球を点け、芝生の前庭越しに部屋一杯にクリスマスツリーを浮かび上がらせ、おとぎの国を演出します。ガレージにも電球を張り巡らせ極楽浄土の世界を作るんですね。
これが、競争なんです。こうする事で地域の土地と家の価格を環境で値上げしてゆくのです。(これ本当です、前庭の芝生を刈らないと、えらく近所に怒られます)

いけない、”Kマート”の話をするのに何でクリスマス・ツリーの話になったんやろ?そうそう、思い出した、日本に帰っても折角集めたクリスマス・オーナメントを使えないのは勿体無いと考え、人工のクリスマス・ツリーを”Kマート”で購入したのです。
私の背丈と同じ位のでかいやつですね。これが、安い、とにかく、分解できて雰囲気が楽しめるやつです。
疲れたから、続きは又ね・・・・・・

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ベローチェ

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毎朝ここで、カフェオレ・ラージ・テイクアウト・袋入れて・お砂糖1個 同じ言葉を半年続けている。
240円である。会社に着くと、何時も、多少漏れている。
何時になれば、顔みただけでコーヒー買えるやろ?
永久に無理かもしれんな。
安いからえ~か。

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オーセールの朝市

娘がブルゴーニュに住んでいますので、時折滞在に出掛けます。場所はパリのリヨン駅で電車に乗りブルゴーニュ経由地中海に繋がる電車に乗ります。この風景模様は以前『joさんのお佛蘭西紀行』として投稿しましたので参考にして下さい。
(朝市で何を買うか)
先ずはチーズを買いますね、いろんなチーズが売られています(当たり前やね本場や)私はシンプルなカモンベールとかブルーチーズとかが好きですが、いろんな物が混ざったチーズもあります。それから、何といってもワインですね。安いのですね、地場のワイナリーでとれた無農薬のワインしか現地の人は飲みません、所謂オーガニックというやつですね。1本300~400百円位のものを買い込み自宅の地下のケーブに寝かせます。多量に買い込み、寝かせておくんですね。
石畳の坂道の両側に沢山の屋台が並び、まるで伏見稲荷の夜店のようです。週に一度の家族の楽しみなんですね、お店の人もお客も顔馴染みなんです。皆さん子ずれで休日を楽しんでいます。
ハムも買いますね、フランスの田舎ではサラダとハムがメインデイッシュみたいなもんですから、重要な食材です。イタリア紀行でフィレンツエから少し南下すると中田選手が住んでいたパルマも昔立ち寄りパルマハムも食しましたが、フランスの田舎のハムも美味しいです。
疲れると、露店街に面してレストランがありますので、そこでビールとか紅茶とかクッキーを食べる事が出来ます。私は、何時もワインとビールを仕入れるとレストランに逃げ込み、女子供の買い物が済むのを待ちます。
(サラダ 奥が深い)
フランスではサラダオイルが自家製です。もう台所には100個を越えるビネガーが並んでいます。いろんなビネガーがあり、季節、料理、気分、ワイン、に合わせてこれを調合するんですね。唐がらしが入ったビネガーとか、得体の知れない物が入った瓶を持ち出し、調合です。
私も、負けずに、オニオンスライスでは腕を振るい、醤油を使い、JOスペシャルを制作し喝采を浴びました。一度、岩岳の赤とんぼ合宿でもフランス仕込みのサラダを作り、評判を得た事があります。

 このあたりでは、シードルも有名ですね、フランス北部モンサンミシェル近くのシードルも有名ですが、ブルゴーニュのシードルも有名です。(リンゴ酒ですね)

食い物の話をしてると腹がへってきたな~~、美味しいもの食べよう。

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サンノゼのスーパ雑感

米国駐在時代,すなわち1982年頃から数年の間の頃のスーパーの思い出です。
自宅の近くに”Safe Way”がありました。毎週末には車で出掛け一週間分の買い物をします。ワゴンに満杯になるまで食料を買い込み80ドル位であったと記憶です。小切手を切ります、カードはなかなか使えない、1レーンくらいしかクレデイトット・レーンは有りませんでした。
(同じ場所 同じ品物)
先ず、品物の種類が100年くらい変わらんとちゃうか?と覚えるほどに品物ガ変わらない。日本ではひっきりなしに商品の種類、新製品が続々と出ますよね?これが、違うんですね~~アメリカ人は新しい物を買わない。保守的なんです。食料に関しては極めて保守的であると感じました。だから、どの場所にどの商品が並んでいるか10年後に”Safe Way”を訪れても当惑しない。日本は何故こんなに続々と食料品の新製品を生み出してゆくんでしょうか?むしろ、不思議(日本が)に思えて来ました。
(パンが不味い)
スーパーで買うパンは日本人としては食べれない程、不味い。不思議である、米国人はパン食なのに何故か?
しょうがないので自宅で日本から持ち込んだ電気パン製造機?を使いオーブンで焼いていました。私が思うに普通の家庭では自宅で焼いているんや、スーパで買う人は貧乏人だけなのかと。暖かい焼きたての方が美味しいですよね。それに、ジューイッシュの人も多いし、小麦の種類が多くて好みが難しい。
(ケーキが不味い ケバイ)
とにかく、米国ではレストランでもスーパーでもケーキだけは買いもしないし、レストランで注文もしなかった。
先ず、色彩がハデハデで油絵の絵の具を載せたようで気持ち悪い。そして、甘過ぎる。ほんま、こんなもんよう米国人は食いよるな~~と不思議でした。これだけは、今でも同じです。
(リンゴが固い、小さい)
なんでやろ?流通の問題でしょうね?日本のリンゴは何故あんなに美味いのか?米国では青くて、小さくて、固くて
こんな不味いリンゴしか食べてないんや~~可哀相な民族やな~と思いました。
(牛乳はバケツ)
これは嘘ですが、多分2リットルから4リットル単位くらいでしか売らない。米国はガロンなので単位は異なるが先ず牛乳瓶が無い! 当たり前か?

そんなこんなスパー事情でした。今度はフランスはパリ、中国のスーパ事情についてお話しします。

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法隆寺の至宝

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昭和資材帳 4 "法隆寺の至宝” 彫刻 木彫  小学館 15000円 ISBN4-09-562004-8

(帯) 日本文化の原点・法隆寺
    無尽蔵と言われる寺宝のすべてを調査
    国家的事業規模で編集された
    写真総目録
 昭和60年11月20日初版発行

どうしても欲しかったです。大金をはたき、初版を購入できました。嬉しかったです。
私の法隆寺への憧憬は自宅でこの写真集を調べ、そして法隆寺を訪ねる。
建物だけでなく、彫刻、木彫すべてが魅力です。
梅安さん浅茅原先生ともよく出掛けました。

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1982年1月7日(木) 早乙女

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1982年1月7日 蒲田 スナック早乙女での”赤とんぼ”新年会のアルバムです。
サブタイトル: JO隊員の歓送会 君島隊員の入隊式

実はこのあと16日には私が米国赴任となりその送別会の模様を記した、アルバムです。
赤とんぼ以外の仕事の仲間、遊び仲間が集まり、自動翻訳機をプレゼントに貰いました。

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1982年1月16日 旅立ち

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懐かしいアルバムです。1982年1月16日(土)の写真アルバムです。

赤とんぼが私に贈呈してくれたアルバムの一場面です。日本橋 箱崎エアシテイターミナルでの撮影です。
赤とんぼのメンバーが駆けつけ私の米国への旅立ちの送別です。
写真は赤とんぼ かっちんと、同じく山小屋管理人の更谷さんと娘二人です。

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北河内 少年探偵団 たたかい準備

今回は、少年達のたたかいの準備についてその風景を垣間見てみましょう。

当時、昭和20年代後期の時代です、”少年” ”少年画報”が子供達の愛読必読書でした。人気は”赤胴鈴の助” ”鉄人28号” ”鉄腕アトム” が人気です。鉄人28号の正田少年が無線の操縦装置で鉄人を動かすのです。今の私がラジコン飛行機を操縦するのとあまりかわらん!それはさておき、こんな危険で、挑戦的なせんとう準備をしていました。少し、覗いてみましょう。

(十字手裏剣 危ないですね)

太い針金(当時は八幡線と呼んでいました)を切断し、10cm位の長さに切断して両側をハンマーで叩いて平らにし、研ぎます。二本を十字に束ね針金で固く結びます。これを、夕方の小学校の体育館の木造の壁を目掛けて投げる。練習ですね。これは危険過ぎるので、直ぐに止めました。隊員の一人が針金を鋭く平らにする為に某私鉄の線路に置いて見つかり、親ともども厳しいお叱りを受けたのが原因です。(絶対真似てはいけない、危険です)

(ロケットの製作)

鉛筆のキャップが当時アルミ製のものがあり、その中に下敷きで使用しているセルロイドを小さく削り押し込む。それにマッチ棒の先を削り混合する。アルミキャップの根元を叩いて閉じる。発射台とローソクを持参して人影の無い橋の下に集合する。いよいよ実験の開始です。川を目掛けて設置し、周りにスパイがいないか敵ガいないか見張りを立て、ローソクでロケットを熱します。シューパー・・・・煙を吐きながら凄いスピードでロケットは飛んでゆきましたね。大成功です。問題は、何処へ飛んでゆくか判らん事です。それと、戦略会議の結果何の役にたつか不明の為に没となりました。

(木刀 竹刀の準備)

当時、小学校の卒業旅行は伊勢神宮と二見浦への旅でした。先輩諸氏の話しでは、お伊勢さんの土産で販売されてる木刀が霊力ある刀ともっぱらの評判でした。先輩諸氏が飽きてしまった、お伊勢さんの木刀を集める事が急務となる。同時に、地元で根強い人気の武器は黒竹の根付き棒です。早速、豪農息子の甚ちゃんの山に入り、黒竹を探す。やっと見つかり、根を掘っていると怖いおじさんに見つかり、捕まる。どうやら、この豪農の息子は自分の山と他人の山の区別が出来んようやった。厳しく叱られた記憶があります。

(肥後守 小刀)

多分、団塊の世代の人で男の人ならば、必ず子供の頃には持っていたと思います。折りたたみ式の小刀”肥後守”です。これが無ければ、何も出来ない。全て自作しなければ何も無い時代でした。鉛筆削り、竹とんぼ、ゴム飛行機の製作、・・・・そんな時代です。米国に赴任した時にアメリカ人の男性は必ず、スイスアーミーナイフを持っている事に気ずきました。例の、ナイフ、缶きり、ねじ回し、なんじゃらかんじゃら付いてる万能サバイバルグッズです。まるで、私の少年時代のような雰囲気をこいつら持ってると、変に同郷意識ガ湧きました。

(落とし穴の製作)

とにかく、落とし穴だけは探偵団の生存をかけた大事な戦略的武器になると考えていました。秘密陣地の周りとか,敵に追われた時に逃げる道筋に仕掛けて置く事が肝要です。これは大層技術が必要で穂谷川の堤防の草地とか学校の近くの道路とか、田圃の畦道とか、野つぼの傍とか、田圃の玉葱を干してある傍とか、周りの状況に合わせて、判らないように製作しなければならない。当時の少年雑誌には沢山の事例研究が載せられていた。

問題は何処に仕掛けたかを、皆、阿呆やから忘れて隊員が自分で仕掛けにはまって止めることにした。

・・・・・・・続く・・・・・・  え?阿呆らしいから止めろ? もっともっと面白い阿呆な話があるんやけどな~~

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初期の作品 フォトアルバム掲載

わこちゃんがマイフォトに”初期の作品”の写真を掲載してくれました。
電動機が殆どですが、自作のマイクロ機もあります。
主翼に和紙を使用した飛行機もあります。雨が降り出し、慌てて逃げた記憶あり。
真っ黒な烏のような飛行機もあります。
しかし、かとうさん、わこうちゃんの飛行機は美しいです。
私ははっきり言って、ヘタです。

わこちゃんBLOGの容量は気にせんでえ~~よ!
niftyから100ギガほど貰うから!

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電動機ハミングカブ

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電動機”ハミングカブ” ムサシノ模型のキットから制作。エンジン機09~15クラスの飛行機を電動機に改造。
墜落してプロペラが折れましたので、記念撮影です。
軽い機体なので、迷惑かけません。あしからず。

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カルマート25スポーツ製作

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エンジン機墜落大破の為、京商製品のスポーツ機を購入し、エンジンはOS25FXを搭載し、完成させた。
これで、明日は早朝飛ばして見る。急いで製作した.

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巣鴨の狸村 のお話し

今日は巣鴨の狸村での不思議なお話しを致します。
これは実話ですので、実名を明かす事はお許しいただきたい。
先ず、はこの御仁のお話しより始めます。
(出雲のポン太君)
彼が生まれ育ったのは出雲というより、石見の山奥でした。彼の父親は樵を生業とし木を切り出し、山の斜面に木を流す道を作り日夜お忙しい日々でした。ランプ生活なので、子供の彼の仕事はホヤ(ガラスの筒)を拭いて煤を取り除く事です。これが毎日の厳しい仕事でしたが、朗報が届きこの村にも電気が来るという嬉しい話でした。
早速、父の指示で栗の木の伐採にでかけ電信柱として丈夫な栗の木を用意したそうです。めでたく文明の証である電気が通じ夜でも勉強が出来るようになりました。家に20ワットの電球が燈るという嬉しさは筆舌につくし難いほどの感動であったそうです。
ーおお山椒魚 大変ー
彼は、教科書を開くと何時もの馴染みのお魚の写真がありました。
あれ、俺も知ってる魚の写真だ!教科書には思いもよらぬ事が書かれていました。”おお山椒魚 天然記念物”と。
彼は、驚愕です、時折山の中の川で魚を取っていましたが、この”おお山椒魚”もよく捕獲して藁で包んで焼いて食べていました。それ以後彼は魚を取ることを止めたそうです。
ー一升餅の儀ー
そうそう、石見の風習として子供の成長を願い”一升餅の儀”がこの地方でもあるそうです。この風習は珍しい習慣では有りませんが、一升のもち米を炊いて,お餅を作り子供に背負わせる儀式です。一生食い物に困らないように親が願いを込める儀式なのですね。このような環境で育ち、20ワットの電球の威力の感動を生涯に持ち電子工学の道を選びコンピュータの技術者になりました。

・・・・続く(次回は北海道の山奥で育ったテツ坊のお話しです)・・・・

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今日は電動機 ハミングカブ号

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エンジン機が尽く、墜落大破により今日は、埃を被っていたこの電動飛行機”ハミングカブ号”ムサシノ模型を飛ばす。
早朝6時が少し廻った所であるが、鶴見川堤防には散歩客多し。
本日記念撮影のあと、モータを廻したら、ボルト締めが弱く、プロペラが外れて飛行は断念した。馬鹿だね~~!

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コンテンツ時代 米国の天才達

1988年頃からTownsのCD ROMソフトを米国で開発する為に東奔西走していた頃のお話です。
(トム・ランドルフ君)
未だ20代の若い社長さんで、奥さまも美人で賢いお二人に大層お世話になった。サンフランシスコのJapan Townの近くに事務所を抱え全米のソフトハウスさんのサポート拠点として大活躍された。私が彼と出会った頃は未だ、LAN関連のコンピュータ関連の仕事をしていた。しかし、Townsに惚れて会社の中身を全部変えてTownsのソフト開発センター業務に切り換えてくれた。ゲームに詳しく、米国のゲーム開発アーテイスト、技術者、経営者、幅広くネットワークを持っていた。私と梅安さんもよくお世話になった。
(SONIC The Headge Hog)
SEGAの看板ゲーム・ソフトの開発者との出会いも感動でしたね。同じ会社の女性が結婚したのが彼で、時折お酒を一緒に飲んだ。狐みたいな動物で尾っぽが二本持つ動物が主役のゲームでした。このソフトのお蔭で当時SEGAは任天堂を抜きそうでした。彼は大学で天才と言われたらしく、ATARIから頼まれて確か『サイコ関係というんですか?念じると
通信出来るという・・・又、相手を精神的に攻撃出来るとか・・安倍清明みたいな御仁やね』そんな研究もしていたらしい。彼の言葉で印象深いのは『自分には大人の自分と15歳の子供の二人の人間が住んでいる』と言い、大人の自分がゲームを設計し、子供の自分がそのゲームを評価すると。多くのゲーム・ソフトを開発する御仁はそうらしい。子供はゲームの設計は絶対出来ないと断言していました。おとなしい好青年でした。
(海坊主親爺 宴会好き)
当時、マーケツトストリートを越えて海側に入ると倉庫街が続く。その倉庫を事務所にして描画系、アニメ、動画作成ソフトを開発している有名な会社があった。MACで有名になりDOS系にも移植していた。この社長が面白い人物でかなりお付き合いした。日本にも何回も来て大騒ぎをした。彼の自宅はサンフランを見下ろせる丘の上にあり、何より宴会の好きな男でした。とにかく人脈が凄く何の為に長年付き合っていたか?あまり思い出せない。
(社員全て退役軍人)
ワシントンに変な会社があった。作るゲームソフトが素人には操作出来ない。戦闘ヘリのゲームですと実戦配備されてる最新の米軍の攻撃ヘリを忠実に再現している。一月に一度会社の本社で会議があると、社員は各自古い第二次大戦の頃の戦闘機で飛んでくる。頭の痛い連中でした。
(全員博士号持つ)
これもワシントンの会社でKESMAIだと思う。ネットワークゲームのパイオニアで全員博士号を持つ異色の会社である。オンライン制御の方式が面白く私も実は専門家でしたので、話がよく通じた記憶がある。

とにかく、ゲームソフトを設計する人間は天才が多い。米国の懐の深さを思い知る数年間であった。

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三角縁神獣鏡 Muさん質問(回答)

もう昔調べていた事で忘れていますが、”日本の歴史”02巻 王権誕生 寺沢薫 講談社 ISBN4-06-268902-2 2200円
305ページによると三角縁神獣鏡論争が少し詳しく書かれています。
””魏史倭人伝の景初三年(239)12月に卑弥呼に贈られ,翌年正始元年に届けられたという銅鏡百枚が、(悉く以って汝〔卑弥呼)が国中の人に示し、国家〔魏)汝を哀れむ〔大事に思う)を知らしむ)ために、倭国に参画する首長たちに配布されたという説がある。小林行雄氏が1961年に唱えた配布論である。確かに、西は宮崎県から東は福島県に至る迄の、列島各地の前期古墳に大量に副葬されたのが三角縁神獣鏡です。
舶載魏鏡説・・・・・小林行雄、樋口隆康、田中琢、 京都大学考古学系統
倭国製作説・・・・・薮田喜一郎、西田守夫、古田武彦、森浩一、王仲殊、奥野正男  反京都大学派

この論争は40年に渡り論争が今でも続いている。両論決定打が無い。

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マイフォト 赤とんぼフライト風景(掲載)

私のblogの美術、写真等のアドバイザリーである赤とんぼの、わこちゃんが写真をUPしてくれました。2002年の春合宿の写真(信州、白馬)と千葉でのフライト風景です。
実は、私のblogはデザイン、美的センス、赤とんぼ写真掲載、は若生さんが影で支援してくれています。動画については同じく、赤とんぼの加藤さんが影で担当しています。文章の添削、指導は梅安先生とMuBlogの浅茅ヶ原先生が時折、指導して下さいます。ようは、総合力やな!

しょうもない写真でもう私のblogは56メガになってしまった! Muさん助けて!!
(写真の見方)
写真をクリックして下さい。最初の拡大写真の画面が出ます、一番下の欄に”アルバムを見る”という文字をクリックして下さい。沢山の写真が見れます。暇な人はね!

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北河内 少年探偵団結成

私が小学四年生になりやっと人並みに言葉が喋れるようになった頃のお話しです。

(戦後10年のあのころ・・・・なにもかも競争でした)

当時の学校生活は厳しい競争の渦中にあった。先ず学芸会で誰が主役を獲得するか、どれだけせりふのある役を獲得するか熾烈なる競争であった。真冬の二月頃に開催され殆どの親が参観し親にもプライドのかかった戦いであった。

(学芸会 チョイ役 落胆)

私が、競争に負けお爺さんの役になった時の親の落胆は可哀相なくらいであった。早朝のドッチボールの場所取りで誰より早く、学校に行き場所を確保する。兎狩りの行事では誰が獲物の兎を担ぐか、どれだけ成果をあげて衆目認める立場になり兎を担ぐか。給食では当時の米軍から支給された不味いスキムミルクから逃れるか、友人関係を制圧していなければ飲まねばならない。お腹に回虫がいなくても如何に甘い美味な虫下し用飴玉を獲得し、手にいれるか。とにかく競争激しい世界であった。

(北河内の抗争事件・・・・初めての出入り、序章)

そんな折、江戸川乱歩さんの”怪人二十面相”が流行り少年探偵団が俄かに、北河内の鄙地に蔓延した。少年探偵団を結成しなければならない!しかし、泥棒の話も聞いた事がないし、隣村の樟葉村とも特に喧嘩沙汰が起こっているわけでもない。無事平穏なる田園地帯である。しかし、これから事件が起こるかも知れない。ともかく最強の探偵団を結成する事にした。牧野村と招堤村(しょうだいむら)連合で結成する事にした。

(遂に探偵団結成する)

先ず幹部五人で結成する事になり、以下最大の総合力が発揮できる布陣をひいた。笠井君、かれは牧野村を昔支配していた神社の息子であり、何より石清水八幡宮で笛を吹いている。片岡君、通称アッチャンは室町幕府の時代から招堤村を治めている豪族の子孫であり且つお寺の息子である。明智の甚ちゃん、は招堤村一番の豪農の息子である。最後に阿呆ばかりでは戦略を立てれないので知将が必要である、小寺君を選ぶ。私を入れて五人の北河内連合少年探偵団が発足した。

先ず、手帳が必要である、隠れ家が必要である、戦闘に備えて武器の確保が必要である、合言葉も決めねばならない、そのうち手下どもを集めねばならない、問題、課題山積のまま探偵団は発足した。
・・・・続く・・・・

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標高4000メータの ヒヒ

昨夜 NHKでエチオピア高地の標高4000メータで住むヒヒの群れについて放映された。山岳部の連中でも難しそうな絶壁の窪みで夜は寝ている。氷点下数十度の中、身を寄せ合い睡眠を取っている。夜は、肉食の動物が高山の草地に出現する為に夜は、危険極まりない場所に避難している。餌は草の葉と僅かな草の根を食べて生き延びている。この
ヒヒは古い時代にアフリカ全土で生息していたそうだが、今はここにしか生存していないそうである。しかしここだから、生き延びる事が出来た。会社の事をすぐに連想する事になった。会社も生命体、法人である生き残る事が如何に大変か・・・・、弱肉強食の世界である。平原の食料豊富で気候も快適な場所では敵も多い。彼らは血液中の赤血球の数を20%も増やし高地での活動が出来るように適応した。彼らは敗者であるのか? 最初はそのように見えていたが、だんだんそうではないと考えるように自分が変化した。彼らは、この数万年か数百万年一時避難しているだけかも知れない。地球の状況が変化すれば、又、平原に戻ってくるかも知れない。お~~敵は死滅したか! これからは、我々の時代であると。最近は、100円ショップで自動で開く傘が売られている、今、手元にある。どうして可能なのか? 不思議である。私は時折、娘が住む佛蘭西に旅にでるが、ルイビトンのシャンゼリゼ本店では一人のお客に一人の店員がつかねば、売らない。昔から、貴族にしか売らない顧客対応方法をその儘残している。要は、大事な重要顧客にしか売らないのである。似た話は、私の地元の京都の老舗のお店でも似ている。室町時代から綿々と続くお店とか江戸時代から続く川魚料理のお店とか幾多の歴史のの激動の嵐を堪えきり生き延びて来た。明らかに、21世紀はPush型モデルの経済モデルからPull型のモデルに変わると思う。しかし、Pullされるだけの独自の哲学、商品、サービス、諸々を持たねば生存は出来ないと思う。あらためて、この番組を何故NHKは制作したのか、少し判るような気がした。

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梅安先生アメリカを行く

1989年か90年のTownsを開発していた頃の話しである。奇才技術者梅安先生と米国への旅に出た。

水先案内人として剃刀Tom君が同行してくれた。Tom君はニュ-ヨ-ク生活が長く、且つ国際ビジネスマンとして名うてのこれ又、奇才であった。まともで普通の人間は私だけである。

出発前から嫌な予感がしていた。

(デンバーの思い出)

先ず向うはロッキ-山脈の麓であるデンバーである。ソフト会社さんとの交渉であるが、ホテルで朝の待ち合わせ時間になっても梅安先生は起きて来ない。Tom君部屋に電話するも応答無し、しょうがないので放置してビジネスマン二人は会社に向かい仕事を済ます。

仕事終了した昼飯頃に梅安先生顔を出す。先生米国の技術屋とひとしきり映画の話か何かして空港に向う。

さて、次に目指すはシカゴである。空港でチェックイン済まそうとカウンタに向うと、先生曰く、ジャケットを会社に忘れた!従い、航空券が無いし、パスポ-トも無い。平然としている。それでどうしたか忘れたけれど、無事シカゴに着いた。

(シカゴの思い出)

レンタカーを借りて厄介な先生を連れてホテルに向う。国際ビジネスマンの二人はテキパキ用事をこなす、ふと気がつくと、お荷物先生がいない!数百メ-タ離れた路上で先生がホームレスの御爺ちゃんとやたら親しく話している。何なんだ、二度とこの厄介先生との旅は金輪際である。この忙しいビジネスの旅に何でホームレスの親爺と話をせにゃいかんのや!国際ビジネスマン二人はそう思うのであった。

そういえば、嫌な噂話を日本を出る前に聞いた事がある。この先生昔、一人で何と大胆!ビジネスの旅に出た事があるらしい。そして、ニューヨークの路上でスリに財布をすられ、一文無しになったという話を聞いていた。おまけに、一部始終を見ていたストリートガールに慰めのお言葉を頂き、そのあと一週間彼女達のグループに金を借りて生活していたそうだ。

(ハワイの思い出)

ともあれ、最後の訪問地ハワイに向った。皆さん誤解のないようにお願いします、ハワイにはパソコンのBIOSソフトを開発している有名な会社のアジア極東本社があるのです。

先ず、到着すると先生曰く、ハワイの三種の神器を買わねばならぬとのたまわれる。先生、お言葉ですが私は考古学に少し詳しいのですが・・・・・?曰く、海岸で履くぞうり、アロハシャツ、海岸で敷くゴザとのたまう。反論しても時間の無駄なので、とにかく買う。

さて、話は尽きませんが最後に、ハワイのレストランでの大騒動の話です。

有名な日本食レストランでの勘定の場面です。私が請求書をチェックするとチップの欄に既に、15%だったか20%か忘れたが記入してある。私は抗議の弁を英語で始めたが、Tom君いきなり激高し凄まじい流暢な英語というか喧嘩腰の英語で喋り始めた。周囲の外人さん騒然とする。

最後に厄介者先生仲裁に入り、”ここは穏便にチップは無しと言うことで終わりましょう”と提案、店側はこれ以上の騒動で評判が落ちても不味いと判断したか、先生の提案を受け入れ幕を閉じた。これが先生がなされたビジネス旅行での唯一のお仕事でした。

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身代わり土偶から呪いの人形へ

諏訪湖の尖石遺跡の縄文のビーナスについては、以前blogしましたが、不思議と発掘される、土偶で完全に五体満足で出土する事は殆ど無いそうです。考古学者のお話では、身代わりの思想で自分の子供とか家族、自分自身の病気の部分を欠損させ祭祀をしたのではないかと、言われている。身代わりになってもらうんですね。遮光土偶でしたっけ?あの有名な宇宙人のような土偶も確か、片足が有りませんでしたね。流し雛の風習も悪い病気がついた自分の代わりに、川であの世を目指し流すんでしょうか。巣鴨の刺抜き地蔵さんは、人さまの悪い所の病気を請け負う形ですね。これは仏教の古い考えでしょうか? 元々、偶像は無かったわけですから、仏教の考えでは無いように思えます。もっと古代に逆上る風習ではなかったか?と思います。少し、話はそれますが三内丸山遺跡での話ですが、確か子供が幼く死亡すると壺にいれて、竪穴式住居の入り口の地下に埋めたそうです。お母さんとか女性が跨ぐわけですから、又、生まれ変わってこの世に生を受けると考えたようです。幼児の死亡率の高かった時代において、なんと優しい考え方ではないでしょうか。考古学とか民族学に興味がある私としては、葬送儀礼に民族の伝統的思想が宿っていると思っています。海部族の海洋民族系統では舟形棺桶を使いますね。南方の何処かの国では大木に孔を穿ち遺体を収め、数年後には木の修復能力により木は遺体を抱き込んでしまいます。森の民族の葬送儀礼ですね。この系統で昔、アジアの民話の収集をしていた時、『かぐや姫』伝説のルーツを求め台湾からフィリピンに取材を進めた時に出会った巨大な竹(直径 1メータはあろうかという竹)に出会いなる程『かぐや姫』は竹から産まれておかしくないと納得した。さて、本題の呪いの人形ですが、何でこの様なものが平城京、飛鳥京の井戸とか側溝から出てくるか? です。縄文時代には無かった風習が何故生まれたのか? 不思議です。奈良文化財研究所は平城京の発掘を長く続けておられ、膨大な数の呪い人形を発掘した。稲作が進み富の蓄積が始まり、権力構造が出来、先進国の中国が強大な官僚国家に変貌し、倭国も進化しなければ蛮族扱い。今に通じるサラリーマン悲哀が生まれて来たのと関係が深いのでしょうか。

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卑弥呼の鏡 2004年5月16日

読売新聞朝刊を日曜朝6時に読む。”中国製と同成分” 卑弥呼の鏡 産地論争に一石 の見出しです。これで、私はやっと卑弥呼はんも安らかに眠れると思いました。この記事に関しての詳細は浅茅原先生のMuBlogの記事を参照して下さい。私もコメントしております。最近の科学技術の進歩は凄まじいと感じております、土器編年法で三輪山ちかくの巻向遺跡も時代が特定されていましたし、箸墓古墳も卑弥呼の時代からは少し、近年にシフトするのが定説でした。しかし、ホケノヤマ古墳の発掘、桜井の古墳での発掘された木材の年輪年代法分析により50年から100年時代は遡りました。これで、卑弥呼の活躍した邪馬台国の遺跡として三輪山周辺はほぼ確定的となりました。邪馬台国、祟神王権(三輪王朝)、そして一時河内に倭の五王の時代(河内王朝)が挟まり、又、継体大王が戻り、飛鳥、平城(なら)、平安へと連なる王朝の時代が展開されたのです。卑弥呼のグロ-バルな国際外交は目をみはりますね。本日の新聞報道は極めて大事な報道でした。

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ワカタケル大王 黒岩重吾

ワカタケル大王 黒岩重吾 ISBN4-16-320630-2 文芸春秋 2143円+税 平成14年1月15日 発行

倭の五王最後の王である雄略大王に関する小説である。祟神王権が花開いた三輪山近辺から場所を河内に移し神功皇后の息子である応神大王が河内王権を開いた。その後、仁徳大王を初め倭の五王と中国歴史書に残る大王が倭王権を握るのである。雄略大王は中国南朝の宋王・順帝に上表した文が有名ですね、祖先が日本を武力で制圧した武勇伝が書かれている。ワカタケルが近年注目されたのは埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣の金象嵌の補修時にエックス線照射にてワカタケルの大王の名前が出てきた事である。既に、関東迄ヤマト王権の力が及んでいた考古学資料となりました。同時に、判読困難であった熊本県江田船山古墳出土の文字もワカタケルと判読された。巨大な古墳を河内に築いた倭の五王の時代には既に、九州から埼玉県までヤマト王権が支配していた事が実証された。同時に国際情勢は緊迫しており、朝鮮半島の北では高句麗が武力で勢力を伸ばし、南下して百済を圧迫していました。この小説は国際色豊かに百済の18代王のコウロ王の弟である昆支王(コンキオウ)が倭に渡り部下のムサノ青という部下を秘密CIAとしてワカタケルを助けるドラマである。
その後、南宋の力も弱まり、中国の情勢も変わり北に政治は移行する、河内王朝も落日の日を迎え日本海の新たな勢力である継体大王がヤマトの王となる。

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5月16日(日曜) 電動飛行会中止

残念ながら本日予定の”電動飛行大会”は雨の為中止である。
この日のために特に二人のOM諸氏は飛行機製作に汗水たらされた様子である。数日前に赤とんぼ掲示板にて、製作工程の疑問・質問が発せられ若者(といってもゆうに50歳は過ぎている)が懇切、丁寧に答えていた。歳をとると指先が若い時代のように器用に動かないと思う。概ね、電動飛行機はエンジン機に比較して小さいので、メカを搭載するのに面倒臭い。小さな場所にサ-ボモ-タやらリンケ-ジの動力伝達機構を組み込む必要がる。私も2月に右手の指三本をエンジン機のプロペラで負傷し、今もこの三本の指は完全に曲がらない。ゴルフ棒はもはや握れないので、正々堂々と誘いをお断りできる。さて、延期という事なので先輩諸氏の御予定を聴き、再企画とする。
実は、今日私が飛ばす飛行機が無く、昨日急遽食器棚の上で埃を被っていた、電動機で複葉機を取り出し、サ-ボモ-タを積み込み、ニッカド電池を探し、充電可能か試験したり、慌てて今日に備えていた。10セルの1200mAhのニッカド電池が壊れていた。

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サンノゼ 小学校風景

カリフォルニア サンノゼに住んでいた頃の娘の小学校の風景について、少し触れます。歩いて数分の所にある小学校でした。校長先生に御挨拶に出掛けると、いきなり質問です、”貴方の御子息の教育方針は何ぞや?学校は最大限に貴方の教育方針をサポ-トします。”と来たもんだ!ギク!日本では学校に任せきりで、親の教育方針なんぞ聞かれた事が無かったな。ここで、先ず大げさに言えば国家と家庭と個人という関係について考える事となった。教科書は学校にあり、共有である。お昼は学校のランチを頼むか、親がランチBoxを持たせる。スケボ-で通う子供もいるし自由である。英語が喋れん子供は午前中、特別な英語を勉強する教室に通う(ESL)。娘二人は約一年で米国の子供達と完全に同じ授業となった。上達は早いもんですね、子供達が自宅に遊びに来ても、話が全く理解出来ないのです。英語が判らないのではなく、彼等の世界が判らないので、理解出来ない。時折、口を挟むと向こうへ行けと言われた。進級も自由で、飛び級も幾らでも出来るし、進級しなくても良い。教室では床に座り、何かしている。とにかく、楽しい事が多そうでしたね、ハロインで仮装して学校へ、近所の子供達とハロインでお家を廻る、ピクニック、夏のキャンプ、友達の家のプ-ルで遊ぶ(この時は親が同伴)、ガ-ルスカウトでのクッキー販売、ジャズダンスの訓練と発表会、ピアノの先生が自宅に来てピアノ練習、・・・・・勉強してる所を見たこと無いし、今考えると何時勉強していたんでしょうか。私が勉強したのは、子供のアメリカの歴史教育でしたね。西洋の人種がマンハッタン島に上陸し、地元のイロコイス・インデイアンとの戦争の歴史は詳細に教えるんですね、驚きました、何故、ウオ-ル街があるか、砦の跡なんですね。(城壁跡)西洋人はイロコイスインデイアンに美味しい、メープル・シロップの作り方を教わり今ではニュ-ヨ-クの名物ですね。教育は難しい永遠のテ-マなので論評はしませんが、教育はあくまで家庭中心であり、教育方針は親が決める事、国家はサポ-トするだけなんです。左効きの子度が多いのも特徴ですね、これも個性尊重なんですね。それと、親が学校で教える事も出来るんですね、私の友人(アムダ-ル社のVP)の某氏は自宅のカ-メルの中学、高校で天文学を教えていました。面白いですね。

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西安の月

飛鳥、平城、平安京を愛する人ならば、一度は長安(西安)を訪れ昔の日本人が憧れた都とは如何なる空間なのか?時代は変われど、昔の残影を捜し求める旅に出たいと思うのではないでしょうか。安部仲麻呂が祖国の望郷の念にかられ、仰いだ月はどんな按配か?唯一、数千キロ離れた大和と長安をリアルタイムで繋ぐものは月であったと思う。当時は携帯電話もないし、FAXもインタ-ネットもない時代である。私は、今も残る長安城の城壁に登り月をみました。観光客をあいてに夜、入城の儀式というものを現地の観光局の公務員の方々がされています。当時の服装で門の周りに立ち並び、迎えてくれ入城の許可書をくれます。記念撮影もさせてくれるし、少しは当時の雰囲気を味わう事が出来ます。幅数メータもある城壁の上を延々と歩く事が出来ます。当時、世界の中心であった長安の都にいるんだと思えば、周りは真っ暗なのでイメ‐ジはいくらでも広がります。玄宗皇帝と楊貴妃の保養地の温泉も車で一時間位で訪問出来ます。夜の屋台は是非お勧めしたいですね、道端に夜店のように色んな屋台が並びシシカバブ-を頼めば、針金にミミズみたいな貧弱な肉が絡まった焼肉を食すこと出来ます。トイレが無いので、暗闇を探し、密かに、雉を撃ちに出掛けると(山男の隠語です、トイレのこと)物売りの女の子が纏わりつき往生します。中国語が喋れればどんなに、楽しいか?残念至極であります。西安の路地では夜の9時過ぎ迄、昔の日本のように縁台将棋・・・ではなく、トランプをされています。家の中が冷えればお家に入る。歴史博物館は大層なものでしたね。国家資格が無ければ、観光客のガイドは出来ません、皆さんよく勉強されていました。帰りの空港までの車窓は砂嵐の吹きすさぶユ-ラシア大陸の巨大さを感じさせてくれ、よくまあ遣唐使は辿り付いたと思いました。

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妖怪旅日記 

”妖怪旅日記” ホラージャパネスク叢書  多田克彦、村上健司、京極夏彦 ISBN4-8104-2728-5
   発行:同朋舎 発売:角川書店 1300円 
(帯)京極夏彦”今昔続百鬼”の多々良勝五郎と沼上蓮次のモデル(?) 妖怪最悪コンビが繰り広げる妖怪珍道中
妖怪最悪トリオ 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦と 妖怪最悪コンビ 多田克己、村上健司の妖怪紀行

目次:
1章  妖怪三馬鹿、京の牛祭りを見学する 村上健司
2章  牛祭の三馬鹿 京極夏彦
3章  水木しげる御大,魔王の木槌に誘われる 多田克己
4章  世界妖怪会議、熊野で開かれる 村上健司
5章  京極夏彦氏と魔界京都を行く   多田克己
6章  妖怪愛好会隠れ里、東北合宿を行う 村上健司
7章  水木しげる御大、清明神社へ詣でる 多田克己
8章  妖怪最悪コンビ、隠岐へ渡る  村上健司
9章  妖怪最悪コンビ、四国・九州を巡る  多田克己
10章 妖怪最悪コンビは、本当に最悪なのか? 京極夏彦

 とにかく解説不要、面白い。
未読の先輩がおられましたので、コメント追加いたします。
・京都太秦”広隆寺”牛祭りについて・・・・・
  京都には三大奇祭がある。上記と鞍馬の火祭と京都市北区の今宮神社のやすらい祭りである。
  さて、主役は牛であるがその上に仮面を被った摩多羅神、その周りを四天王が歩く。二時間程度の短いお祭りであるが夜に行われる。
  奇妙な紙の仮面を被る摩多羅神とは何ぞや?これが、テ-マですね。結論は”古代ア-リアの神。ペルシャのゾロアスタ‐教では太陽神、または契約と正義の神として信仰された。牧牛の守護者であり、かつ聖牛を屠って、信者に聖体拝領して魂を救済するという。救世主マイトレ‐ヤ(弥勒菩薩)の前身。摩多羅=ミトラ 弥勒の前身ミトラは牛を殺す神であった。弥勒信仰を日本に定着させた聖徳太子の死後、仏教により鳥獣の殺生は禁止となった。そこで、弥勒菩薩を本尊とする広隆寺では、牛を殺して人々を救済する祭りの形態を牛祭りの形に変更した。私の一番好きな国宝第一号”広隆寺 弥勒菩薩”に関わるお話しでしたね。

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人麻呂の暗号 藤村 由加

『人麻呂の暗号』 藤村 由加 ISBN4-10-371901-X \1200 新潮社 1989年1月発行
確かこの頃は梅原 猛先生の、柿本人麻呂論『水底の歌(上/下)』 に傾倒していた時期だと思う。そんな折りにこの本は出版されたと記憶する。万葉集は漢字で書かれており、読みくだしを我々は楽しんでいるわけですね。作者とそのグループは朝鮮語で読んで見ようという試みでした。特に、解釈が難しいといわれている歌とか、意味不明といわれている万葉集に迫ろうとしました。特に、万葉集 歌聖といわれる人麻呂を取り上げましたね。今だ解明されていない枕詞についても研究されました。私は万葉の時代のインテリは中国語と朝鮮語を話せたと考えています。私の故郷の親爺の墓の前には王仁博士が千字文を伝えましたと記念碑があります。万葉人がやまとことばを漢字を使い、表音表記する場合に複数の意味を漢字に込め、朝鮮語での別の意味を持たせたと想像するのは面白いと思いました。特に、政治に絡む歌の場合は複雑であったと思います。柿本 人麻呂は渡来系の人であるという説がありますね、充分に可能性のある想像であると思う。飛鳥、奈良、平城、万葉の風景は古代朝鮮語の香りがプンプンする国際都市(今の日本は英語が氾濫していると同じ)であったと思う。ただ、この本では残念ながら朝鮮語がこの時代で使われていた古代朝鮮語で分析がされたのか批判する人々が居る事も事実です。

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私(あて) 六本木

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最近、気に入りお世話になっている、レストラン&バ-である。旧防衛庁に隣接しているお店で、老舗の”ワインガーデン”の傍である。焼酎の専門でありあらゆる、焼酎を飲むことが可能。料理も素晴らしい、私は夕刻の早い時間にお世話になる。

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箸墓幻想

『箸墓幻想』 内田康夫 ISBN4-620-10648-8 ¥1700(税別) 毎日新聞社
(帯) 卑弥呼の墓とも言われながら、実像はベールに隠された奈良・箸墓古墳。その謎を追求していた、畝傍考古学研究所の元所長・小池拓郎が殺される。真相を追う浅見光彦を待ち受けていたのは、歴史を超えた、女たちの冥い情念だった。闇は御霊たちの呪いのように、冷たく、深いーー。やがて起きた第二の殺人に、浅見は・・。

私はあまり推理小説は読みませんが、この帯を読んで、買いました。もともと毎日新聞で連載されていたようですが、単行本になり始めて読みました。作者も回想されているが、連載中に不思議な偶然が沢山起こったのです。先ず箸墓の近くのホケノ山古墳の発掘です。最古の前方後円墳である事が判明、『画文帯神獣鏡』も発見されました。又、終了間際に桜井市の勝山古墳から出土した木材の年輪年代法によりこの古墳が二世紀末から三世紀始めの物理年代と橿原考古学研究所が発表しました。これは、邪馬台国論争を集結させる程の大発見でしたね。これで、箸墓古墳を含む巻向の年代が卑弥呼の時代に近くなり、従来の土器の形状による分類年代で言われていた年代が、もっと古い時代にシフトしました。テレビ番組で放映されたかは、知りませんが面白い、です。

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ヤマト 1

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2003年2月19日 神戸港訪問時の写真。背景は『ヤマト 1』 である。写真の赤とんぼ三浦先輩と神戸を訪問時撮影した。実はこの日の夕方は京都で梅翁、浅茅ヶ原の旦那と祇園でお会いした。

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ゆうちゃん帰国する!

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私のお姉ちゃんの息子のゆうちゃんです。米国ニュ‐ヨ-クの駐在を終えて帰国しました。彼は私の実家で幼少の頃は御爺ちゃん、お婆ちゃんに大事にされて育ちました。幼少の頃は身体が弱く、年寄りが心配していた事を思いだします。宇治の木幡の御蔵山で育ち、ピアノが趣味で慶応のライトミュージックで大学時代は活躍しました。今日は久し振り恵比寿のベトナム料理のお店『We』で飲みました。ブラボー若者に幸あれ!

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ベトナム料理 恵比寿(We)

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このお店は恵比寿の駅の近くで若い女性に人気のヘルシー料理のベトナム料理レストランです。私の27年間上司であった先輩の御子息が経営されてるお店です。慶応大学を出て、エリ-トのサラリマ-ン生活を捨て、若いみそらで事業家として船出しました。もう二年目になるが大繁盛、イケメン男性と料理が美味であるので、お客が絶えない。嬉しい事である。特に、生春巻きが名物ですね、今度5月27やったか、8やったか忘れたけど、V6のテレビ番組で春巻き対決で放映されます。ゲストは小林幸子はんか誰か忘れたけど、暇な人は観て下さい。今日は、私の一番上の姉の息子が米国ニュ-ヨ-ク駐在を終えて帰国した歓迎会をここでした。

2004年5月14日 nifty 社長の古河さんが『We』レストランについてblogされましたので、そちらも参照して下さい。私もお勧めのヘルシーレストランです。ワインは何時もここでは、カリフォルニアのロバートモンダビのシャドネーを飲みます。

恵比寿We

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電動機ムサシノ『プレーリ号』

電動機シリーズです。今度は私のムサシノ模型『プレーリ号』です。仲間は『河豚提灯』と呼んでいました。2002年8月2日 早朝、新横浜の鶴見川堤防での記録です。540モータを搭載し、1200mAhX8~10セルで10分位は飛行しました。今は存在しません、墜落大破しました。この年は2機の『河豚提灯』を制作し、2機とも大破・破棄となりました。

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日本の中の朝鮮文化(8) 金達寿

『日本の中の朝鮮文化(8) 因幡・出雲・隠岐・長門ほか』 金達寿(キムタルス) ISBN4-06-184956-5 講談社文庫
数年前に出雲から若狭迄日本海側の旅がしたくて、昔読んでいた上記本を取り出し、旅行に持参した。この本のシリーズは紀行文であり著者が司馬さんと同様に、紀行しながら自分の目で古代を回想されている。
・因幡・伯耆
ー略ー
・出雲・隠岐・石見
ー米子から美保関へ
ー出雲族・熊野大神
ー安来を訪ねて
ー金屋子神社まで
ーひの川・ひ伊川
ー四隅突出型方墳と荒島
ー韓国伊太氏神社のこと
ー意宇の杜と新羅の鶏林
ー築山古墳と大念寺古墳
ー須佐郷の須佐神社
ー日御崎・加夜・出雲大社
ー隠岐の古墳と神社
ー韓神新羅神社と韓島
ー江津の都怒我阿羅シト
ー鵜ノ鼻古墳群を訪ねて
・長門・周防
ー略ー

この本で面白いのは上記目次で略しましたが、『因幡の白兎』の話ですね、白兎神社での面白い語りが印象に有ります。曰く、先ず鰐(わに)は山陰地方では鮫の事ですから、一般的に鮫の上をピョンピョン跳ねる、兎の絵が描かれています。さて、もうすこし朝鮮語で分析すると(わに)=さびもち だそうで、鉄の事だそうです。古事記ではこの鰐はサビモチの神と書かれているそうですから、白兎族と鉄の民族の争いの話なんですね。ワニが鉄だと京阪奈丘陵の和邇氏は鉄の一族なのか?

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三国志と卑弥呼

日本人の多くの人々と中国の人々も三国志は好きだ。私もファンの一人です。又、日本人で卑弥呼を知らない人はいないと思う。

私の謎は卑弥呼は魏より銅鏡百枚もの異常の賜物を頂いた事です。長く、疑問でありました。

(三角縁神獣鏡)

最近天理市南部にある大和(おおやまと)・柳本古墳群に属する黒塚古墳より三角縁神獣鏡三十三面の大量発掘がありました。この数は京都府椿井大塚山古墳と同数である。異常な数が発掘されました、注目は卑弥呼が魏より頂いた鏡が三角縁神獣鏡ではないかと言われています。さて、鏡の分析とか科学的な検討は考古学者の方々が専門にされています。私は何故、大国の魏が邪馬台国の女王に破格の賜物をしたかでした。

(国際情勢)

それではその頃の世界情勢をみましょう。皆様ご存知の三国志の時代です、魏、呉、蜀と分かれていましたね。もう一つ大事なのは朝鮮半島なのです、公孫淵が帯方郡を支配して中国の言うことを聞きませんでした。昔の高句麗の時代より武力の強い国ですね。当時、呉の海洋民族国家は中国沿岸の海を支配していました。海人族ですね。呉は魏と戦う為に朝鮮半島の帯方郡の公孫淵と提携しようとしました。そして、魏に圧力をかける算段ですね。魏はなんとしてもこの同盟を阻止しなければなりません。そこで、魏にとり海洋民族である倭国に目をつけ、見方にして縦の同盟を横で切る戦略を考えたと私は思います。

(公孫淵滅亡)

魏は大陸の国です、海軍力は乏しい国です、呉は強大な海軍国家です。歴史は魏の明帝が238年~247年帯方郡を攻め滅ぼします。卑弥呼は240年、243年、245年と帯方郡と接触します。学校で習う歴史としては、卑弥呼が国際情勢に敏感で帯方郡が滅び公孫淵の滅亡により朝鮮半島の緊迫した変化と倭の国のいち早い対応の為に魏に接触したと考えられています。

(魏と卑弥呼戦略提携)

しかし、私は魏の国にとり蜀も相手にしなければならない、呉も何時蜀と同盟し攻めてくるかもしれない、しかも、帯方郡の公孫淵が密かに魏を狙う!このような国際情勢では魏の国が倭国(邪馬台国)、海軍力に優れた国を見方につけようと考えてもおかしくないと思います。

(卑弥呼の優れた外交感覚)

三国志は三国志演義として14世紀に生まれたものです、本当に当時の国際情勢を反映しているとは思えないです。(中国内の話が中心になりますね)。最後に邪馬台国は実は東アジアの歴史に於いて大活躍したんだと、考えるだけでも面白く有りませんか?卑弥呼は大変な国際外交に優れた巫女さんでした。

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雲の平の想いで 北アルプス

 参考 雲の平 空中庭園

 北アルプスの名所、空中庭園の想いでについてお話しします。

 大学一年生のクラブ(ワンゲル)夏合宿は北アルプスの縦走でした。春からトレ‐ニングを積み、地獄の猛訓練でした。六甲台のキャンパスから山を下り、三ノ宮迄マラソンです、途中女子大が沢山あるんですが道草はご法度!ヘタヘタで大学に到着すると、リュックに砂を入れて今度は六甲山を走って登るんです。

これがきつい、車が通る道ではなく、登山道を走るのです。夏合宿迄かろうじて私は訓練を耐え抜き参加できました。

 後立山連峰に聳える、烏帽子岳の直登ル‐トを攻めます。30~40キロの荷物を背負い一気に登ります、これが有名なブナタテ尾根の登りです。8時間位かけて登れるル‐トですが14時間位でしょうか?途中で目が眩み、意識が無くなってきます。足だけが何か動くようです、段々視界が消えてきます。前を歩く人のお尻しか見えない。

稜線に出ると霧が下から吹いて来ます、野口五郎岳を越え、鷲羽岳を越え、右手に真っ黒な水晶岳を眺め三俣蓮華岳のコルに到着します。

二日間かかりました。念願の雲の平に到着です。本来ならお花畑が迎えてくれる筈が天気が悪く、何も見えない。設営してキャンプに入る。

 そこからが悲劇でした、夜になるとシュラフが浮くんです、耳に水が入り込む、川の中で設営したようです。全員起き上がり、肩を組んで唄を唄うしかないんですね。ここはチトウでした。地下数十センチは川なんです、折りしも台風が北アルプスをかすめており、台風に巻き込まれてしまいました。

 3~4日は動けず、夜は立った侭過ごしました。日に数回、ラジオの天気予報を聴き、天気図をつけます、南鳥島風力3、北北西の風何ミリバ‐ル・・・・・これが先輩がうまく描くんですね、最後に等高線をどう引くかで、まともな天気図になるかが決まる。訓練に訓練を重ねなければ天気図は描けない。

 ともあれ、1週間雲の平に閉じ込められました。笠ガ岳も槍ガ岳もピストンが出来ず、一旦千メ-トル下り、又馬鹿尾根を千メ‐トル登り黒部五郎を経由して薬師岳に登り下山しました。

 この時の初めてのアルプスの経験が私をその後、毎年百日は山に入る生活を四年間続けさせました。雲の平は私の山登りの原点です、夕日が赤牛岳を真っ赤に染め、三百六十度の展望は見事であります。

その後、何回もここを訪れ、お花畑を愛で、黒部の源流に降下して針の木沢で岩魚を釣り、マスを釣り上げ(虹鱒)ムニエルにして食べ、黒部の渡しを過ぎ黒部ダムに到着する。是非お勧めです。

雲の平参考Web
三俣蓮華岳
鷲羽岳
水晶岳

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5月16日予告!電動機試験飛行

来る5月16日(日曜)二人のオ‐ルドマン(OM)による電動飛行機の試験飛行会があります。場所は新横です。先ず三浦先輩は”電動ムサシノ模型のエルロン仕様のプレ-リ”機です。ムサシノ540モ‐タ搭載の高翼機ですね。もう一人は40年振りに模型飛行機を製作、飛ばすOMさんです。高校生時代に模型飛行機クラブに属されておられたそうです、今は60歳を既に超える御年齢ですから・・・・えろう昔の話ですね。翼長2メ-タのグライダーを制作されました。モ‐タグライダーです。400クラスのモ‐タを搭載して上空に揚げサ‐マル(注:上昇気流)を探します。あとは上昇気流を利用して優雅に飛行を楽しみます。飛行機遊びの中では究極の楽しみ方でしょうね。サポ‐トするのは赤とんぼが誇る、教官:かっちん 飛行機製作指導教官:わこちゃん 機体回収、捜索隊長:JOさん 医療班:娘の香奈枝(獣医) 万全の体制で臨む予定です。問題は、OM先輩が目がちゃんと飛行機を追えるか?手が震えていないか?最近のコンピュ‐タ化された送信機を操作できるか?不安は大きい!しかし、ここで試験飛行をしておかねば夏合宿はとうていおぼつかない!

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縄文のビ‐ナスと諏訪大社御柱

参考:縄文のビ‐ナス(尖石縄文考古館 国宝)

  (縄文のビーナスに出会う)

赤とんぼの合宿は何時も変わらず、信州白馬は岩岳の山小屋で自炊でこの28年間続けている。従い、東京からは中央高速で諏訪湖の傍を通過して松本方面に行きます。

昔は大層不便で中央も諏訪湖で終わりで塩尻峠を越えて松本に抜けたものです。さて、何時も通過する諏訪湖についてであります。

赤とんぼの先輩の三浦OMがjoさん途中下車して”縄文のビ‐ナス”さんを拝んで行こう!と私を、諏訪湖南で高速を降り、一路、尖石縄文考古館を目指しました。

見事な気品と優しさと美しさを備えた、感動胸を打つ出会いでした。日本最古の国宝です。しかも、不思議なのは同時代のこの土偶とそっくりなビ‐ナスがフランスで出土した事です。同じ時代に同じ像を作る!これも不思議なことですね、でも実は歴史ではこのような事はよくあるそうです。

私が知っているのは秦の始皇帝の軍団の”雁行の陣形”と同時代の無敵の軍団ハンニバルの陣形が同じなのです。ハンニバルは機動部隊として(左前方)象の部隊を使い、秦の軍団は戦車隊、騎馬隊、強弓隊を使いました。

さて、縄文時代は諏訪湖近辺は野生の動物ガ豊富に生息し、木の実も豊富に存在する豊かな土地であり縄文の文明が花開いた場所だったそうです。時代は下り大和に強力な王権が生まれ、出雲との国譲りの事件が起こりました。大国主神や事代主神らは天皇家に恭順しましたが、建御名方(たけみなかた)は最後迄抵抗して信州諏訪迄落ち延び、二度とこの地を出ない事を条件に生き延びました。

日本海の直江津から安曇野にかけては古くから海人族、出雲の勢力が地盤を築いており大和の王権も簡単には攻める事が出来なかったと思われます。又、先程の尖石遺跡のように遥か縄文時代よりここには富が蓄積されていたと思われます。諏訪大社はこの建御名方神を祭っています。

先日の諏訪大社の御柱の祭りを見ていると巨大な柱を掘建て柱の技術で立てて神が宿る。これは出雲大社の16丈、32丈の高さの掘建て柱と似ていますね。三内丸山遺跡の掘建て柱も栗の木で巨大なものを立てていました。ト‐テム信仰ではないでしょうか?アメリカのインデイアンもト‐テム信仰です。環太平洋で巨大な柱を立てて、神が宿ると考えた海洋民族は今考える以上にグロ‐バルであった可能性が高いと考えざるをえません。

最後に、伊勢神宮の遷宮の話、そのときも柱が出てきますね、この辺からは三輪山迄戻りますので、友人、浅茅が原先生の領域になります、そのうちに、小説が出るかも知れませんので私はこのあたりで、止めておきます。

追加説明:建御柱(たておんばしら)の事を述べました。里曳き祭りの終盤に神社に到着すると、先端を斧で三角錘に切り落とし(冠落しの儀)最後に建御柱の儀で終わります。神域の四隅に聳え立つ御柱は7年間神社を守るんですね。

私がお話ししたのは神の依り代としての意味ですが、他にも説があります。四神ですね、北の玄武、東の青竜、西の白虎、南の朱雀として御柱は神社の聖域を守るという考え。けど、これは私は飛鳥時代にならねば輸入されなかっつた思想であると思います。謎が多いのですね。

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司馬遼太郎 坂の上の雲

司馬さんの評論が出来る資格はないが、私は彼が好きだ。好きな読者として勝手な思いを述べたい。先ず生い立ちが私に似ている、親近感でしょうか、葛城の麓で鏃や考古学に関する遺跡に囲まれ育った。福田少年は周りの古老より遥か昔の長脛彦が神武軍と戦った話とか、葛城の役の行者(えんのぎょうじゃ)の神がかりな山伏の話を聴いて育ったと思います。大昔に葛城の勢力が河内と飛鳥を支配していた時代を夢想したに違いないと思います。秀才ではなかった点も私と共通してるし、大学がモンゴル学科というのが又素晴らしい。河内と飛鳥の世界から、少年(青年)の夢は遥かユ‐ラシアのモンゴル草原に広がっていったのです。まさか、そこでポンコツ戦車に乗るとは考えていなかっつたでしょうが、歴史は過酷でしたね。彼の戦争体験は決定的に彼のその後の生き方に影響したと思います。さて、昨年、久しぶりに又、”坂の上の雲”を読みました。語り部(昭和の稗田の阿礼)司馬さんは松山出身の二人の兄弟の目を通して明治の日本の叙事詩を語った。司馬さんはNHKの番組によく顔を出されていましたが、著作物以上に彼の語りが好きでした。この”坂の上の雲”も琵琶法師が演奏しながら語るとどうなるか?出来れば司馬さんに生きてる間に琵琶法師の役で語って欲しかったです。平家物語、太平記、琵琶法師が音楽をバックに語る叙事詩はより一層司馬さんの作品というより、日本の宝として明治の高潔な魂を後世に伝える事が出来るような気がします。NHKが2006年にこの作品を映像化する予定と聞きました、司馬さんが何故今まで、映像化を拒んだのか、NHKには責任が大きいと思います。一度映像化するとそれが、新しい別物の”坂の上の雲”になりますね。期待と心配が交錯するのは私だけではないと思います。是非NHKさんには頑張ってもらいたいです。出来れば、松山出身の秋山兄弟には是非、松山出身の俳優さんにお願いしたい。何故か、実は私の近くに梅安さんという松山出身の御仁がおられる、生まれ育った風土は簡単には異文化で育った人には演技が出来ない。”街道を往く”の番組はす晴らしいものでしたが、如何せん、司馬さんはKansaiーJinでした。これは難しい。

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5月2日 MINIX25飛行前の姿

2004_05020005.JPG この飛行機は安定したスタントガできる、性能の素晴らしい機体である。今日も素晴らしい演技をみせよう!

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