« 少年 特急”つばめ”に乗る! | Main | 不思議なBlog »

コンテンツ時代 ル-カスフィルム編

ハビタット タッカ-
1988年頃の話ですが、当時ル-カスは双方向映画の研究をされていました。先ず、コンピュ-タを使いゲ-ム風に複数のキャラクタを登場させお互いに会話が出来る環境を作り(ビジュアルチャット)お客がそれぞれのキャラクタになり手元のコンピュ-タの端末で会話を入力する、そしてシナリオの存在しない物語をお客様に作って頂くライブ映画の製作をしていました。そのプロトタイプをベ-スに当時の開発途上でしたFM Townsで製品化出来ないか?これをネットワ-クゲ-ムに出来ないか?そんな発想で交渉に乗り出しました。サンフランシスコの北、金門橋を越えて少し北に行くと、ル-カスの本拠地”スカイウヲーカ ランチ”があります。広大な山を買い取り、所々に民家風の建物が点在しています。ここが、ポストプロダクションの本拠地なのですね。まるで、広大な牧場です。仕事場というか、普通の自宅のようなもんですが、そこで仕事をします。猫もいるし、なんら自宅と変わりません。しかし、ポストプロダクションのコンピュ-タ設備は驚きです。あまり詳細にここで描写すると企業秘密に触れますので割愛しますが、巨大なサ-バと各作業の部屋は高速LANで結合され、ロスとか色んな場所で撮影されたラッシュフィルムをここに集結し先ず、全てをデジタル化します。そして、ポストプロダクション作業が開始されます。音も世界各国の言葉で複数トラックに録音して行き、並行して作業を進めます。作業に入ると数ヶ月はここで缶詰になるので、普通のコンクリ-トの事務所では発狂してしまいます。なるだけ、人間が自宅で住んでいる環境を提供しているんですね。私は、当時、タッカ-の映画のポストプロダクションも終わり、映画が完成した場面に遭遇しました。コッツポラ監督作品、ル-カス提供でしたが、その完成式に立会いました。先ず、制作に関係した人々だけで観賞するんです。映画館はこの牧場にあるんですね、部屋はナパバレ-のワインを醸造した樽の板を張り詰めた壁で覆われています。ほのかなワインの香りがします。巨大な米国の自動車産業に立ち向かったヒ-ロの話で、フロントのライトが三つあるんです。ご存知の方々もおられると思います。最後にパ-テイですね、私も、記念品の車の模型を頂き製作者の皆様とワインに酔いしれました。物創りを終えた喜び、映画が売れようが売れまいが関係ない・・・満足できた映画が出来たこの職人の喜びが底から怒涛のごとく湧き出す喜び!まさか、私がその後映画のプロヂュ-サをやらされるとは夢にも思いませんでした。その後、プロトタイプの双方向映画の素材は姿を変えて、私の同期の愚直の親友である福田さんが”Fujitsu HABITAT”として世の中に出しました。Townsの目玉の商品としてです。仮想空間での街作りのゲ-ム様式を踏まえていますが、文化人類学的にも多くの波紋を呼び、大学の先生方が研究テ-マとされました。

|

« 少年 特急”つばめ”に乗る! | Main | 不思議なBlog »

文化・芸術」カテゴリの記事

Comments

JOさん
 ルーカスさんの「広大な山を買い取り、所々に民家風の建物が点在しています。」こういう話を聞くと、米国のすばらしさを感じます。夢物語、映画や小説の中の話が、現実にあるのですね。
 ここでハイテク使って何ヶ月もこもって編集したり、調整する人は、映画人? 技術者? 芸術家? ただのサラリーマンなんでしょうか。ともかく、そういう世界に足をつけていたJOさんが、眩しいな。
 ハビタットはよく覚えております。くまなく、まるごと、骨までしゃぶったTOWNSだったが、唯一表面をなでただけのがハビタットでした。理由は簡単です。
 当時は、通信に対して、電話しかなかった。その電話がふさがったり、電話代が高騰するのが耐えられなかった。だから、townsで通信を使ったのは、ごくわずかでした。

Posted by: MuBlog | 2004.04.22 02:04 PM

全体が牧場なんです・・。ネクタイの人種は誰もおらん!最初、ネクタイして牧場に入ったけど、場違いやな。二回目からは辞めました。基本的には皆さん芸術家ですね。バラバラのフィルム素材をデジタルデータの素データとして、本当の映画を作ってゆくんやな~。ここからが、勝負やそうな、新たに映像を作るとか、エフェクトかけるとか、CG合成するとか・・・・。梅安さんはサラリーマンやけど、ネクタイ持ってへんかったな~~。社長賞を受ける時、わし、ネクタイ貸しました。背広もその時買いよったな~~。

Posted by: jo | 2004.04.22 03:30 PM

ずいぶん過去の記事にコメントさせていただきます。
「ハビタット」の制作に参加してらっしゃったんですか? すごいです!
私は学生で、MMORPGなどゲームのことについて学んでいるところです。
もしかしたら「ハビタット」が、バーチャル世界における自分の分身に「アバター」という言葉を使ったはじめてのコンテンツなのかと思っているところです。
それ以前だと「アルティマ」の主人公が「アバター」だったことは関係しているのかなとも考察してるのですが、これは深読みしすぎでしょうか?w

Posted by: mins | 2011.06.17 10:47 PM

minsさん 返答が遅くなり御免なさい

 北海道で遊んでいましたので、返答が遅れました。

 お話では学生さんで、RPGなどを学んでおられるようですね。この記事は1988年頃のルーカスフィルムのスカイウオーカーランチでの出来事を描いています。

 丁度、『タッカー』(総指揮ルーカス、監督コッポラ)の映画ポストプロダクション完成の時の思い出です。私は、サンフランシスコ在住のトム・ランドルフ君と『HABITAT』の権利譲渡の交渉で現地におりました。

 当時、FM Townsのソフトを独創的な視点で提案してくれる米国のマルチメデイアクリエータを探していました。

 ルーカスのプロトではコモドール64とQuantumLinkのネットで試作されていましたが、パソコンの能力が低く、ネットも劣悪でした。そこで、当時は世界最高の表現力を持つTownsでシステムを新たに作ろうという事になり、同期の福田さんが大分のラボから東京に来て、彼が完成させたのが、富士通『Habitat』なのです。

 勿論、オリジナルの仮想空間設計にあたった、Chip MornigstarさんやDong Crockfordさんも富士通の『Habitat』建設には力を貸してくれました。

 当時、米国のインタラクテイブメデイアに関わる最先端の人々はTownsと富士通のマルチメデイアネットワークに期待を寄せてくれていました。

 話をすると、長くなりますので止めますが、実に今から思えば時代を先取りした世界に挑戦していたものだと思います。

Posted by: jo | 2011.06.21 10:51 PM

お返事ありがとうございます。
「時代を先取りした世界」本当に仰るとおりだと思います。

学校や、友人との会話ですとついつい現在運営されているネットゲームや新作の話題になりやすいのですが、どうしても歴史を知りたくて、安易ですがネットで情報収集してこちらにたどり着きました。

80年代にネットゲームが作られたことにも大変驚いたのですが、またそこに映画監督のルーカスさんが関わられていたことも驚きです。今でこそハリウッドがゲームを意識しているのは周知の通りですが、最初の頃からルーカスさんJOさんは関係をもたれていたんですねー。

ありがとうございました!

Posted by: mins | 2011.06.24 06:24 AM

minsさん

 懐かしい話がお役に立てば幸いです。

 少しずつ、昔を思い出しています、確かダンジョンマスターも本格的なマルチメデイアパソコンで商品化したのも、Townsだったと思います。

 私はSim Cityの企業向け石油プラント教育システムに興味を持ち、将来のパソコンのソフトのイメージを持った経験があります。

 マクロメデイアの創業者のマークキャンターとはサンフランシスコや東京でもよく一緒に遊びました。宴会大好き人間で、おもろい人でした。

 本格的な戦闘ヘリのシュミレータを開発してる東海岸の連中も面白く、出来た作品を最初に見学に来てくれたのは航空自衛隊の人々でしたね。

 当時は米国中を東奔西走していました。一度、トムランドルフ君と当時のマルチメデイア業界の記録を残せば何か後世に役に立つかも知れませんね。

Posted by: jo | 2011.06.24 11:39 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference コンテンツ時代 ル-カスフィルム編:

« 少年 特急”つばめ”に乗る! | Main | 不思議なBlog »