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少年 特急”つばめ”に乗る!

前回の少年の冒険編が好評を得た(単に京都の暇な親爺が言ってるだけ)ので、続編を語りたい。

小学生の頃には私の家が特殊で人里離れていたのと、言葉の発達が人並みから遅れ4~5歳迄言葉が喋れませんでした。母は本当に心配したそうです。従い、友達は犬のメリ-しか居ませんでした。そうそう、鶏もいましたねそれから、卵を盗みに来る蛇。(どいつもこいつも喋れへん)

(言葉を喋れるようになる)

しかし、小学校に入学する頃から少し,喋れるようになったそうです。けど、友達はいないのと言葉があまり出ないので、1~2年生の頃は厳しい女性の先生に黒板消しで顔を殴られました。(多分悪さをしたんでしょうね)顔を真っ白にして、立たされていると優しい男の子が顔を拭いてくれました。彼はその後、同じ寝屋川高校に進学、大阪市立大学の経済学部に進みました、友人です。

私が許せないのは”えこひいき”をする女性の先生でしたね。子供は繊細なのです、すぐに判ります、グズで言葉が喋れない子供は許せなかったんでしょうね。(当時はそう考えていましたが、いたずら坊主だったんでしょうね)でもご安心下さい、時代は下り私が大学に行くようになった時にこの恨みつらみの先生の女子高生の娘の家庭教師をしたのです。でも母は死ぬまで先生を許しませんでした。

(爺先生に出会う)

小学四年生に進級した時に世界は一変しました。其れまで、二人の女性の先生だったのが始めてお年寄りの御爺ちゃん先生になりました。この御爺ちゃんは冬には教壇にカンカンを置いて、火を焚くのです。授業中ですよ、タバコを吸いながらメラメラと紙を燃やして暖をとるのです。当時、暖房はありません、底冷えのする木造校舎は隙間風がピュ-ピュ-入ります。寒かったんでしょうね、御爺ちゃん先生は手をかざしておられました。私は、にわかに勉強に目覚め其れまで通知簿は1~2(これ最低)ばかりでしたが、突然にオ-ル5(最高)になりました。男の子は本当にちょっとした事で気分が変わるんです。

あれあれ、話が脱線して本論が出てきませんでしたね、こんな折、未だ通知簿が1~2ばかりの頃の話しですが、母方のおばあちゃんの一周忌で私は母に連れられ、何と”特急つばめ”に乗り一路東京を目指したのでした。

(特急つばめに乗る)

今では”のぞみのグリ-ン”てとこでしょうね。母と二人(犬も鶏も蛇も何時もの仲間は無し)で京都駅で乗り込み胸ドキドキ一路東京へ!御弁当を食べ、みかんを食べる、トンネルでは窓の隙間からもうもうと煙ガ入ります。そう石炭で走る汽車ポッポなのですね。

(石炭煙で顔は真っ黒)

母が笑います、私の顔が煤で真っ黒で、北河内弁で喋るが言葉が未発達だから他人から観ると極めて面白いそうで、周りの人々の笑を受けていました。私を襲った不幸はトイレでした。汽車ガ揺れるので、トイレで立って小便が出ない!どうしても、オシッコが出ない!何時もは、田んぼの畦道で蛙の顔とかミミズに面白おかしくオシッコをしていた自分が思うように行かない。その後、どう始末をしたか、遂に、狭い空間だからオシッコが出ない結論に達し、外のデッキで暗闇の空間目掛けて出たそうです。ホンマ面倒な奴でしたね。

(東京に着く)

さて、jo少年が江戸に到着、京では見ない丸い大きな”ベッタン”巨大な”板チョコ”高価な”ピストル”朝早く売りに来る”なっとう屋さん”・・・・・・目が丸くなって、メリ-の待つ田舎に帰ったとさ!

そうそう、忘れていました!不思議なことが起こったのです。

東京は品川は上大崎の母の妹のお家でおばあちゃんの一周忌の行事の時です、ロ-ソクが溶けて、ロ-ソクの形が、はな垂れ少年の目にはおばあちゃんの姿に映ったのです。大きな声で騒ぐと一同の大人達が集まり驚いて拝んでいました。多感な少年時代の話でした。特急つばめ

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Comments

JOさん
 特急つばめの、最後尾、展望車というのでしょうか、あれは絵や写真で見て、あこがれのまとでした。
 JOさんの話を聞いていると、女人とのトラブルが絶えないね。どうしたことでしょう。その女教師は、はたしてJOさんの悪戯で、頭ドツイテ立たせたのかどうか、ちと、あれこれ可能性を考えてしまう。
 喋れなかった!
 うん。だが、現在もとつとつと話すことが印象に残っておる。ああなるまで、話さなかったのだろうか。私は、入学時、極端の福井田舎弁しか喋れなかったので、母が心配して「おばあちゃん先生」に相談していたのを思い出す。
 あ、記憶の断片。
 すさまじい人見知り、臆病者だった。つまり、幼稚園の時。一人で行けなかった。次兄が中学だったのだろうか、幼稚園までついてきてくれた。窓の外で待っていると約束したのに、途中帰りだしたので、まどから幼稚園のカバンを投げ捨てた記憶がある。
 ああ。やっぱり、今の人見知り、人に倍する恐怖心、さもありなんと、ふむふむ。
 ああ、ここはJOさんのブロッグでしたな。
 失礼しました。

Posted by: Mu | 2004.04.21 02:57 AM

今だに人見知りが激しいのは梅翁の旦那ですね。会社生活長いけど、話する相手は数人しかおらんな~~。問題の先生とはその後大層仲良くなり家庭教師迄させて頂いたので、何の恨みもつらみも有りませんむしろ、ショック療法で少年を導こうとされたと解釈しています。教育現場は難しいのですね。到底私や、梅翁には無理な職業です。浅茅が原の旦那の幼少時代は多分に御高説の通りでしょうね、難しそうや!周りは大変だったんでせうね?私も保育所に一年間通いましたが、一人では行けない状況に変わりは有りません。以前話しましたが、保育所の庭が九頭神さんの祠と接しており、一人で山(古墳跡)で遊んでました。息子に遺伝したのか、米国帰国子女で幼稚園に入ったが、やはり親爺の幼少時代と一緒で皆と一緒の行動が出来んかったな~~。幼児が列を作り整列してるのに、息子だけがウロウロしとるので、直ぐに息子の判読が出来たな~。

Posted by: jo | 2004.04.21 06:25 AM

JOさん
 謎がとけた。
 風雪梅安一家が、わけもなく、理由もなく、なんかこてこてと一緒にいるのは、単純な理由。
 要するに、はぐれもん。
 まともには、社会でいきていけへんかったようや。

 あははは。
 それとな、あんまり明言せんけど。
 いずれもな、子息のことでは(笑)。
 なんか、絶望的な苦労しとりますね。

 人が知ったら、三人とも「お父さんがた、一体どういうことなんです!」と、驚異驚愕の目でみられるね。

 そういう、遺伝因子の強烈極まる伝搬に、はぐれ者同士の生命力も、あるんやわ。

 こういう偶然の一致は、統計的にみて、どうなんでしょうね。最初に会ってから、そういうことが相互にわかってきたのは、ここ数年でしょう。

 まあ、血の強烈さも、おなじかね。
 因果は巡る・・・

Posted by: MuBlog | 2004.04.21 07:47 AM

傘張り浪人の息子も未だ浪人しとるそうやな~親子揃って浪人や! わしの馬鹿息子は1年から2年に進級でけへんで2回も落第して、又、1年浪人して今や琉球や! 娘も瘋癲の旦那(自称吟遊詩人)と琉球をさまよっとるわ。そのうち、帰って来て又、佛蘭西へ帰るんやろな~~。気楽な人生送っとるわ。もう知らん!

Posted by: jo | 2004.04.21 02:53 PM

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