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月岡貞夫さんとの出会い

今日本のアニメは世界の最高峰にあると思うし、ビジネスでも成功を
収めています。

私が7~8年前に”ガメラⅡレギオン襲来”のプロヂュサ
の一人として参画させて頂いた頃に、月岡さんと出会いました。彼は
当時、富士通のパソコンのCM”タッチオジサン”のアニメを製作されておられた頃だと思います。

東アジアの民話を何とかテレビ番組出来ないかと東奔西走していた頃です。取材の為に台湾、フィリピンを訪問
し、各地の伝説を収集していました。

例えば、かぐや姫の物語は日本と同じようにフィリピンで見つけましたが、竹の太さが1mはあろうかと
いう太さで、なるほど、こないに太い竹なら子供は生まれると感心した思い出があります。

さて、月岡さんの話でした、先生は若い頃に上京し手塚さんの漫画をアニメ化する志で門を叩かれました。
稀有な才能は”狼少年ケン”を全て制作、統括されその才能が衆目を浴びました。その後、数多くの有名な作品を世に出されアニメの井戸を掘った人として、東映動画の基礎を作られました。

漫画は手塚さん、アニメは月岡さんこれが私の印象です。

その後、私の好きな宮崎さんとか、多くのアニメの巨匠ガ輩出されました。私が月岡さんに意見を伺い指導を受けようとしたのは、コンピュタでアニメを自動生成出来ないか?その頃米国では人間の身体にセンサをつけて点の動きをトレスして3次元でシュミレションする方法でした。


月岡さんは”駄目だ!アニメは人間とか自然界の物を其のまま
真似してもアニメにならない!” 動きの誇張が必要!その他
諸々朝方まで説教をされた思い出があります。

残念ながら先生とは御一緒に作品を世の中に出すことが出来ませんでしたが
常に、子供達の教育について熱い思いのある人でした。今は
東京工芸大学の教授をされておられるし、当時は日大の芸術
学部で教えておられました。

月岡さんと世の中に出したかった作品は2点です。最初は、東アジアの民話のアニメテレビ番組です。テレビ局、代理店さん、ビデイオ販売会社さん、出版会社さん、皆様と最後に契約近くまで漕ぎ付けましたが、残念ながら実現に至りませんでした。

アジアの民話には、各民族の悲しい抵抗の歴史が隠されているのです。将来、又、機会があれば挑戦したい課題なのです。

二番目は、”雷親爺と息子”です。これは、雲の上に住む、雷親爺と息子が織り成す、楽しい話です。二人が、毎回の東アジアの民話が始まる前に、イントロを行う構想でした。雲の上から各地の民話のイントロを紹介して、その国に降りてゆく、そんな趣向でした。絵コンテまで、出来ていたんですが、実現せず残念でした。


先生の作品で私が一番好きなのは
NHKさんの”みんなのうた”での”北風小僧の寒太郎”のアニメ
です。素晴らしい目の澄んだ先輩です。

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Comments

JOさん、おはようございます。もうご出勤でしょうか?
「私が7~8年前に”ガメラⅡレギオン襲来”のプロヂュサ
の一人として参画させて頂いた頃」
 こういう記事が目に入りますと、ますます、JOさんの才能を?銭採取に向かわせては惜しくなります。どうですか、清純な世界、日本全国トンデモ巨石文明、日本のピラミッド総攬をDVDでプロヂュースなさいませんか。とても期待しております。

Posted by: Mu | 2004.03.17 09:05 AM

今はラジコンで多忙を極めております。そのうち、ラジコンに飽きたら考えてもよろしおます。けど、商売にしては
アカンと思います。売れへん! 昔、苦労しました。

Posted by: jo | 2004.03.17 12:51 PM

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