Main | April 2004 »

優雅に舞う飛行機

写真の”バレリ-ナ”はクラブの先輩大岩さんガ飛ばしておられた姿を見て、感動し私も制作したくなりバルサキットから作りました。翼の幅が広くまるでグライダ-のように飛びます。それでも、背面飛行とかロ-ル演技もこなします。大空一杯に観覧車の輪のようなループを描かせると実に優雅であります。諸元:OS25FXエンジン、4サーボ(エルロン、ラダー、エレベータ、エンジン制御)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

私の飛行機”バレリーナ”

_015.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ブルゴーニュの風

写真は、ブルゴーニュ在住で気が向くとパリの自宅で気楽に暮らしている娘夫婦の写真。始めて、クりスチャンは日本に来ました、ちなみに子供の写真は次女の娘"サーヤ"です。ブルゴーニュは皆さん、ワインで御存じですね、この場所を数年前に紀行した想いでは"瘋癲老人日記 JOさんのお佛蘭西紀行"に掲載しました、暇な人は読んで下さい。娘夫婦は私の"ラジコン制作工房"を占拠し、私を追い出し、孫の"サーヤ"は私の書斎を占拠し、私の場所を奪います。彼らはこれから、暫く我が家を占拠し、広島の原爆記念館を訪問する旅にでて、ついでに出雲経由、親の故郷京都を訪問して、最後は私の息子が留学している琉球へ行くそうで、大戦の不幸な傷跡を辿る旅にでるそうどす。JOさんのお佛蘭西紀行

| | Comments (1) | TrackBack (0)

週末飛行会(千葉)

週末は朝6時に起床し、フライト。日曜日は千葉の”赤とんぼ専用飛行場”にて加藤さん、最初の写真の人(教官)と千葉まで遠征。加藤さんはいつもの、”セダクション”(写真)とファンフライ練習機”シェルフィッシュ”。飛行場管理人の千葉の吉本さん(ラジコン親爺)は二枚目の写真。SAITO82a最新の強力な4サイクルエンジン搭載の飛行機。
そして私の”MINIX 25”スタント機です。私は、この飛行機の初飛行でした。色々、飛ばす前に問題があり約1時間ほど、二人に助けて頂き貴重な時間を無駄にした。赤トンボのいい所は全員で解決する考えと行動力です。お陰様で私の飛行機は素晴らしい飛行をしました。F3Aチャンピオンの成毛さんの設計された飛行機です、さすがですね。吉本ラジコン親爺は見事な”トルクロール”演技をこなし完璧です。(解説:飛行機ヲ垂直に立ててクルクル回る)
無事飛行会をお昼には終わり"焼肉”ヲ食べて帰還した。楽しかったな~~~~!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

加藤さんとセダクション

_010.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

トルクロ-ラ吉本さん

_012.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

私のMINIX25初飛行

_006.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ROUTE 66

昨夕、久しぶりに鵜飼先輩と米国時代の同僚の中尾さん(UNIX草分け)、コンテンツ時代同僚の水野さんと再会した。前回、この四人が会ったのは銀座のワインのお店、”TORIFUJI”でした。今は、このお店も閉店して有りませんが鎌倉氏のお好きなお店で、膨大なカリフォルニア・ワインで有名でした。鵜飼氏はワインに関してはうるさいので恵比寿駅近くの馴染みの”We(ウイ)”にした。このお店はnifty社長の古河さんの御子息が経営されてるお店で、ベトナム料理の美味しいお店です。何時も、私は早い時間に御邪魔して若者が集う時間帯には失礼する事にしている。特に、若い女性に人気がありヘルシ-な料理で人気です。ワインはここではカリフォルニアの懐かしいロバ-トモンダビのワインを飲むことにしている。(安い)今回の鵜飼さんは66歳の記念にROUTE66を奥様と二人でシカゴからロスまで車で旅をされたReport旅紀行栞を見せて頂き、無料で頂いた。鵜飼さんはNHKのプロジェクトXでも紹介されたように、米国での御生活が長いです、思い出の旅に10日間をかけて車で昔、幌馬車が開拓したトレイルを車で旅されたのです。いずれ、詳細は御本人が公開されると思いますが見事な写真と紀行文でした。このRoute 66 紀行についてはインタ-ネットでも多くの人々が御紹介されておられますので、参照して下さい。私もカリフォルニアで生活した経験がありますが、多分 米国人の精神を理解するには西部開拓の道どりを自らのハンドルで走られる事であると思います。最後はサンタモニカの海岸で遥か太平洋を望んで下さい。Santa Fe鉄道の3マイル列車(5キロメータの接続された列車が延々と通過する)を砂漠で見れば、誰でもが驚く。
Route-66参考Web(!) Route-66御参考Web(2)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

夏、朝日の中フライト風景

Cimg0008.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

出雲と三輪山(心象風景)

先日、大神神社主催の『三輪山セミナー 100回記念講演会』に出席した。上田正昭先生と中西館長(万葉)さんの講演でした。上田先生は昨年暮れ腹部動脈瘤が見つかり、大手術をされ無事成功し今年になり始めての講演だとお話でした、本当に御無事で良かったです。

三輪山は私にとり心の故郷のような場所です。太古に於いて明日香、奈良盆地が満々と水を蓄えた湖であった頃に人々は三輪山の麓に生活を営み、『山辺の道』が湖に沿うように北河内、山城(背)に通じていた、人々はこの道を踏みしめて歩いたんだな~~と考えると遥か太古の昔の映像が浮かんで来ます。

三輪山の祭神は大物主の命さまです、ヤマトトトヒモモソ姫との結婚、今の堺の陶氏の娘との浮名話、そしてその子孫、オオタタネコを招聘しての大神神社を祭らせた崇神天皇。最近の歴史学者/考古学者の方々は大国主の命と同一であるとの説が主流です。

どうしても、出雲を訪れねばいけないと、数年前に出雲から丹後半島に旅をしました。出雲には十六丈(48メータ)の建物が近世迄存在しました、ある学者は三十二丈(96メータ)であったと言う人もいます。掘っ建柱の技術では無理だと言う人々がいましたが、 私が出雲を訪問する1年前にその3本の柱を束ねた地中部分が境内から発掘されて騒然となった事は皆様も記憶に新しいと思います。

巨大な柱3本を鉄の帯で締めつけ、建設したんですね、日本海沿岸に縄文時代より脈々と受け継がれた建設技術を我々は知りました。

技術は伝承されない事があるんですね、それは中国は西安(長安)は兵馬ヨウを訪れた時に、秦の時代に製造された『クロムメッキの青銅剣』が発見された事実です。

クロムメッツキは近世発明された技術です。荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡での膨大な銅剣、銅鐸の発掘成果は出雲伝説が本当ではないか? 説得力のある考古学の成果でした。遥か三輪山の麓から出雲迄、大国主(大物主)王権は存在したと考えておかしくは有りませんね。

イリ王権を確立された崇神(ミマキイリヒコ)がヤマトに来られる迄は悠久の大国主さんの国だったんだな~~と思います。そうそう、セミナーでしたね、 上田先生が最後に言われた話は印象的でした、国際化についてのお言葉です。

『国際化とは外国の文明文化を学ぶだけでは駄目だ、自分をしっかりと持たねばならぬ! 源氏物語の紫式部の言葉を引用され 漢才&大和魂 が肝要なり』と。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

FM TOWNS開発の想いで(3)

写真は昨年、六本木の『ワインガーデン』(瘋癲老人はワインにうるさい)にて、古河さんを囲みTOWNSの開発メンバの一部が集いました。 写真左の前から、福田さん(髪の毛薄い、HABITAT担当)、宗像さん(鉄人、ハード設計)、JO(アプリ)
最後尾が浦野大仏様(OS担当、制御プログラム担当) です。 右側は前から、玉井さん( 瘋癲老人、TOWNS設計責任、
鬼才)、菅原さん(バイオリニスト、OS担当、音楽ソフト担当)、古河親分、牛若さん( 玉井さんの弟子、一番働いた人) 以上8名の開発メンバです。 皆さん、相当にワインを飲みましたね! 今も熱く語る懲りない面々です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

FM TOWNS開発の想いで(2)

Cimg0004.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

FM TOWNS挑戦の想いで

現nifty社長の古河さんが、FM TOWNSの開発回想録をcocologされておられます。 楽しく読ませて頂いて居ますが、私の名前が出てきましたので、私も少し触れさせて頂きます。私が自律神経失調症で身体を痛めて居た折り、古河さんに米国移住を命じられました。これが、私の命を救って頂いた事になり、カリフォルニアへの転地療法は絶大で、常に挑戦する人々が称賛される、失敗を恐れない文化、そして失敗した人にも又、チャンスを与える社会が気に入りました。
北米総支配人、富士通本社常務の(故)岩井社長の指揮下、直接上司の本多副社長の麾下で米国ビジネスの基本を教えて頂きました。当時、私は暇でしたので、ニューヨーク在住の富田君と米国のベンチャー企業の探訪どさ回りをして
日本におられる古河さんにReportを送り続けていました。明らかに、コンピュータのビジネスモデルが変わる真っ只中でした。暇な古河さんは年に4回、5回と出張で米国に来ます! その度にベンチャー企業の訪問の手引きをしていました。明らかに、古河さんは歴史の激動を予感されていたんですね、暇で米国に来ておられた訳ではありませんでした。その後、富士通は半導体部門の親玉でおられる安福さんより、パソコン事業を古河さんが事業部長として受け取る事になります。この時は既に、3年近くに渡り米国のパソコン事業を知り尽くしておられたので、最適なるバトンタッチと、私には映りました。私が、1986年頃に帰国して暫くしてTOWNSのプロジェクトに参画させて頂きました。私のボスは佐藤シコウさん(富士通総研社長歴任)、落合さん(PAREX社長)の配下で 五反田でハイパーメデイア開発センタを任され、アプリ開発、特に米国でのアプリケーション開発を任されました。相棒はトムランドルフ氏でした、サンフランシスコに会社を作り本格的に米国でのアプリ開発に乗り出しました。このプロジェクトの志の高さに惚れ、特に、設計した玉井氏(瘋癲老人)
の設計思想には驚きを隠せません、何故計算機は音楽も音声も、映像も扱えないのか? これでは、コンピュータは単なる企業の高価な設備でしかない! 4~5年に1回しか仕事をしないと評判の玉井さんに出会い、私の人生もここから激変する事になったのです。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

わが故郷(2)

牧野 近辺の地図を参照してください。これは現在の地図ですが招提村と牧野駅の関係が漫画風に判りますね。

私は招提(しょうだい)村で生まれ、小学生の5年生で牧野の近くに引越しました。前回、牧野の渚について説明しましたが、ここには有名な渚院があり平安時代には在原業平とか惟喬親王の憧れの場所でした。今も桜が綺麗ですよ。牧野の桜と渚院所で継体天皇が樟葉で即位される前の5世紀には牧野車塚古墳が既に造営されていました。

大きな権力がここにはありました。この話は次回の崇神天皇と南山背のタケハニヤス彦との古代の大戦争の現場としての樟葉の報告をします。

 まず 牧野車塚古墳 所で、私の保育所はクズガミさまの隣でした。変な名前だな~と子供の頃は思っていた。大きな新しい道路で古墳は削られ、今は小さな祠があるだけのみすぼらしい祠です。

だけど、大人になりこれが”九頭神さま”と判りました。この古墳の年代は判りませんがひょっとすると、樟葉即位継体天皇=九頭竜川 九頭=樟 越の国の思いが遥かに思いおこさせます。

樟葉の地名由来については崇神天皇が南山背のタケハニヤス彦との大戦争の時に、汚い話ですが、余りの激闘で糞が袴についてしまった、(まるで家康ですね)、そこでクソバカマがなまり、樟葉という名前ガ生まれたと記録ガあります。

だけど、私は九頭をとります。次回は王仁博士と私の両親のお墓が隣り合わせの話と、激戦 ワニ坂物語そして、星の世界とカグヤ姫実在の故郷のはなしです、御期待ください!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

豚の丸焼き

豚の丸焼きです~~。子豚です、広州の名物だそうですよ。

CIMG0023.JPG

| | Comments (2) | TrackBack (1)

桂林紀行

中国は憧れの場所です。SARSが流行る数ヶ月前に広州から桂林に旅をしました。写真は私が船の上から撮影したものです。優雅な旅です。景色を愛でながらお酒を飲み食事ができます。鵜飼が竹で出来た船で漁をする地元の人々の姿を拝見することができます。飲みすぎるとデッキにでて風にあたってください。悠久の歴史を感じます。

CIMG0043.JPG


CIMG0034.JPG

| | Comments (2) | TrackBack (0)

桂林舟遊び

CIMG0031.JPG

| | Comments (0) | TrackBack (0)

背水の陣と蹴球

今日はオリンピックの出場を賭けた最後の戦い,UAEとの戦いでした。世間ではこれを”背水の陣”といいます。しかしこれは本当でしょうか?もともと、漢の韓信が1万2千人の軍勢で趙の軍勢20万人を相手に戦った時の話です。
河を背にして1万人を布陣させ、相手を油断させて密かに敵陣背後に2千人を配備させ戦争をした話です。でも本当に良い結果がでました。大久保と平山の国見高校の二人は隼人の血筋でしょうか?前線で頑張りましたね。私は
今の会社の取締役である吉澤君とGE関係の会社の経営幹部をしている富田さんで中田さんのHPを始めた経験が
あります。今でも中田さんは年齢差は相当ありますが素晴らしい人です。自分で未来を切り開く精神は感動です。
今日の試合で日本を応援して、会社では吉澤君が今日は寒くていい条件です!日本有利です!と言います。私は
会社の納屋さんに国立競技場の前でドライアイスを売ろうではないか!サポタ相手に商売してはどうか?と冗談を
話していました。今日の感動は以前から感じていましたが、若者がブラジル人の闘莉王までが日本の国歌を唄う姿です。色々この唄には歴史的な難しい背景がありますが、この唄は明治の時代に外人が薩摩の古い唄を演奏しただけなのです。FWの二人の国見高校の九州の高校卒業生には縁のある話でした。しかし最大の功労者はレバノンちゃんでした。レバノンちゃんには是非日本で桜の花見をして宴会をして楽しい思い出を作り帰国して欲しい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ヲホド王と私の故郷(1)

浅茅が原先生がMuLogで継体天皇の古墳の事を記事にされているのに触発され,自分の生まれ故郷とおおいに関係が深いので、少し触れたい。

元々は私の親は唐津は鍋島藩の貿易商だったそうで、自宅の裏庭に貿易船が繋留される家で密貿易による裏で藩の経済支える家系でした。

しかし、私の父は次男で家を継がずに関西にでて地方官僚をしていました。私のDNAの中にその後辿る海外との関わりはどうやら、先祖に理由があるようです。

とにかく生まれは
北河内郡大字招提村、隣村は樟葉村、牧野、枚方、男山、車塚、石清水八幡宮・・・・・そんな地名が環境です。

さて歴史を遡りますと継体天皇(ヲホド王)が即位された地が樟葉です。
ヲホド王の父は山背、琵琶湖を支配した息長氏の系譜で早く身罷れたので、母の故郷である越の国、九頭竜川で育ちました。

その頃の越の国の勢力は出雲あたりから秋田近く迄支配して主に、朝鮮半島と北中国との貿易を支配していたと考えられます。そして、応神天皇から続く仁徳天皇、雄略天皇、武列天皇と所謂、河内王朝の時代の終焉近い時期
でした。

政治の場所は大和と河内です、国際政治では南朝を相手に貿易を支配して瀬戸内海航路を支配していました。残念ながら国際情勢は新興の北中国の時代に遷移する時期でした。

私は国際情勢が日本の政治に大きく関わると思います、武列天皇のあとヲホド王は南下されて樟葉で即位され
ました。日本書紀では大伴金村ガ招聘したとありますが、事実は不明です。

何故、樟葉なのか? MuLogで浅茅が原先生が言われるように3つの川が合流し交通の便が最大の理由と思います。
又、ヲホド王の時代から本格的な馬を戦闘武器として利用する時代となります。馬です。 牧野と
地名が残るようにこのあたりは”牧場”でした。河内馬飼首(ウマカイノ オビト)との関係を見てもヲホド王は馬を戦力とする軍団であったでしょう。

交通の便といえば川と海が今のハイウエイです、考古学者の森浩一先生の話では枚方の方(カタ)は潟であると推察されておられます。淀川は当時は内海に近い状態だったんでしょうね。

次回は王仁(ワニ)博士の遺跡ともう少し、故郷について話を続けます。

| | Comments (1) | TrackBack (3)

月岡貞夫さんとの出会い

今日本のアニメは世界の最高峰にあると思うし、ビジネスでも成功を
収めています。

私が7~8年前に”ガメラⅡレギオン襲来”のプロヂュサ
の一人として参画させて頂いた頃に、月岡さんと出会いました。彼は
当時、富士通のパソコンのCM”タッチオジサン”のアニメを製作されておられた頃だと思います。

東アジアの民話を何とかテレビ番組出来ないかと東奔西走していた頃です。取材の為に台湾、フィリピンを訪問
し、各地の伝説を収集していました。

例えば、かぐや姫の物語は日本と同じようにフィリピンで見つけましたが、竹の太さが1mはあろうかと
いう太さで、なるほど、こないに太い竹なら子供は生まれると感心した思い出があります。

さて、月岡さんの話でした、先生は若い頃に上京し手塚さんの漫画をアニメ化する志で門を叩かれました。
稀有な才能は”狼少年ケン”を全て制作、統括されその才能が衆目を浴びました。その後、数多くの有名な作品を世に出されアニメの井戸を掘った人として、東映動画の基礎を作られました。

漫画は手塚さん、アニメは月岡さんこれが私の印象です。

その後、私の好きな宮崎さんとか、多くのアニメの巨匠ガ輩出されました。私が月岡さんに意見を伺い指導を受けようとしたのは、コンピュタでアニメを自動生成出来ないか?その頃米国では人間の身体にセンサをつけて点の動きをトレスして3次元でシュミレションする方法でした。


月岡さんは”駄目だ!アニメは人間とか自然界の物を其のまま
真似してもアニメにならない!” 動きの誇張が必要!その他
諸々朝方まで説教をされた思い出があります。

残念ながら先生とは御一緒に作品を世の中に出すことが出来ませんでしたが
常に、子供達の教育について熱い思いのある人でした。今は
東京工芸大学の教授をされておられるし、当時は日大の芸術
学部で教えておられました。

月岡さんと世の中に出したかった作品は2点です。最初は、東アジアの民話のアニメテレビ番組です。テレビ局、代理店さん、ビデイオ販売会社さん、出版会社さん、皆様と最後に契約近くまで漕ぎ付けましたが、残念ながら実現に至りませんでした。

アジアの民話には、各民族の悲しい抵抗の歴史が隠されているのです。将来、又、機会があれば挑戦したい課題なのです。

二番目は、”雷親爺と息子”です。これは、雲の上に住む、雷親爺と息子が織り成す、楽しい話です。二人が、毎回の東アジアの民話が始まる前に、イントロを行う構想でした。雲の上から各地の民話のイントロを紹介して、その国に降りてゆく、そんな趣向でした。絵コンテまで、出来ていたんですが、実現せず残念でした。


先生の作品で私が一番好きなのは
NHKさんの”みんなのうた”での”北風小僧の寒太郎”のアニメ
です。素晴らしい目の澄んだ先輩です。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

鵜飼直哉さんとの出会い

プロジェクトXで日本の電子計算機の挑戦が取り上げられました。
池田さんの部下で米国で活躍された一人に鵜飼さんがおられま
す。NHKさんが放映されたあと彼の会社を久しぶりに訪ねると
嬉しそうに、20年前の段ボル8箱が川崎工場の保管倉庫から
発見されたと。それは30年前のAmdahlと富士通の資料でし
た。鵜飼さんは米国現地の責任者として赴任されAmdahl氏
と470V6の開発に従事された。この経緯はNHKで放映され
たので皆様は承知の事と存知ます。ちょうどその頃は入社2
年目で私は全銀協オンラインシステムの開発をしていました。
1982年私が米国に赴任すると鵜飼さんはもう、Amdahlとは
異なる仕事でロスで社長をされておられました。会うたびに
ワインを飲みに行こうと、誘われワインに関する講義を聴かさ
れ、筒井君ワインを楽しむには先ず、自分の好きなワインを
一つ見つけなさい、そしてそれを原点に3次元空間にその後
出会うワインをプロットしなさい。そんな話を聴かされました。
富士通は先日の新聞報道では理科系の大学生の希望する
会社の5番目になりました。昨年は34位か35位だった。
プロジェクトXの影響でしょうか? 嬉しいです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

社員教育について

私の会社は平均年齢27歳と若者中心の会社です。ちなみに
会社の事業の柱である連結会計/連結経営のソフト”SUPER
COMPACT"の責任者は取締役で30歳である。全員が公認
会計士を目指したメンバです。結果的に資格を得た人は少ない
けれど、むしろ資格は取れなかったけど、それ以上の実力を
獲得したいと望む若者の集団です。最近、1982年初頭に
米国駐在時代に偶然会社の経営者の通訳でシカゴの銀行
出向いた折、知り会えることができ、それ以来先生の塾生と
なり師と仰ぐ山田先生に社員の経営に関わる教育をお願い
した。名ずけて”指南車流MBA”。 先生は学問の領域だけ
でなく過去に富士通総研の初代社長として10年間実務を
経験されている。日本開発銀行時代より現場を経験されて
おられるので若者もより身近に感じると考えた。
大学院2年間でこなすカリキュラムを半年区切りでこなして
ゆくが、より実践的訓練を重視します。私は、5年後に10人
の若者が育てばいいと思い、社長自ら幹部候補生を先生
とともに育てたい。山田さんは昨日よりモロッコ(サハラ砂漠)
へ冒険の旅に出られました。 大丈夫やろか~~?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

フライト風景

赤とんぼ フライト風景をメンバの若生さんの御協力で
追加しました。 日頃は週末に新横浜近辺の鶴見川か
千葉にいるメンバ在住の飛行場でとばしています。
宴会の写真がありますが、これはメンバの更谷さんが
お持ちの岩岳(栂池の隣)の山小屋”ちんぐるま”で
撮影されています。年に春、夏、秋と合宿が企画さ
れます。今回の写真には会長の中村さん御夫婦が
写っていますね。(少し髪の毛に特徴)、そして最高
顧問の三浦大先輩がおられます。今年の春は
関係者の多くが”仕事が忙しい”ので夏までお預け
の模様です。おいおいメンバのご紹介をさせて頂き
ます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

アマチュア無線との接点

赤とんぼ ラジコンクラブ発足時に信州は岩岳の山小屋迄飛行機を飛ばしにゆく訳ですが、
これが、複数の車でゆく為に相互の連絡にアマチュア無線が必要になった。 当時は未だ
中央自動車道も諏訪湖あたりで終わり、塩尻峠を越えて松本に抜ける。 全員でハム免許
をとろうという事で勉強会を蒲田の 『早乙女』居酒屋さんで開催。 その後、無線は海外迄
飛ぶ事が判り、アマチュア2級を受験、免許を頂く。そのうち、米国駐在となり、今度は
カリフォルニアの免許を取得する。 N6IHEがコールサインです。 クパチーノの自宅裏庭に
巨大なアンテナを建設し、無線局を開設する。 無線に出てくれる暇人は老人ばかりで
やたら近所のお年寄り茶飲み友達が出来た。若者で無線をする(電信)人は極めて少ない
事を学ぶ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

模型飛行機と私

私と模型飛行機との関わりは27年前に逆上ります。 当時、AIMという世界先端のDB/DCシステムのオンライン制御の
制御プログラムの開発に没頭していました。 そんな折り零戦の設計秘話の本を読み、感動を受け自分も飛行機を
作りたいと。仲間を誘い、ラジコン飛行機の模型キットを買いに模型屋さんに走り制作を始めました。
エンジンはどうすれば始動出来るのか? 当時は09クラスと15クラスの小さなエンジンです、これが難しい! 一日中プロペラを
手で廻すが、始動しない。 悪銭苦闘の末にやっと夕方頃に偶然に始動する! 飛び上がる喜びで何も考えずに、
飛行機を手投げする・・・・数秒で墜落、大破! これの繰り返しでした。

jo_special.JPG

| | Comments (1) | TrackBack (0)

ジョージ君と面白い仲間達

上達しないまま27年も続けてきた、『ラジコン飛行機』を中心に情報の発信をします。ついでに、経済/経営/ITに関する情報も発信したいと思います。
 
私も57歳にもなり、残りの人生は限られているので、今まで以上に楽しく、悔いの残らないないように、何事にも果敢に挑戦して生きていきたいと思います。

私の周りには不思議と『妙な人種』が沢山おられます、これらの人々も紹介しながらblogのネットワークを拡げていければ幸いと思います。

| | Comments (1) | TrackBack (2)

Main | April 2004 »