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FM TOWNS挑戦の想いで

現nifty社長の古河さんが、FM TOWNSの開発回想録をcocologされておられます。 楽しく読ませて頂いて居ますが、私の名前が出てきましたので、私も少し触れさせて頂きます。私が自律神経失調症で身体を痛めて居た折り、古河さんに米国移住を命じられました。これが、私の命を救って頂いた事になり、カリフォルニアへの転地療法は絶大で、常に挑戦する人々が称賛される、失敗を恐れない文化、そして失敗した人にも又、チャンスを与える社会が気に入りました。
北米総支配人、富士通本社常務の(故)岩井社長の指揮下、直接上司の本多副社長の麾下で米国ビジネスの基本を教えて頂きました。当時、私は暇でしたので、ニューヨーク在住の富田君と米国のベンチャー企業の探訪どさ回りをして
日本におられる古河さんにReportを送り続けていました。明らかに、コンピュータのビジネスモデルが変わる真っ只中でした。暇な古河さんは年に4回、5回と出張で米国に来ます! その度にベンチャー企業の訪問の手引きをしていました。明らかに、古河さんは歴史の激動を予感されていたんですね、暇で米国に来ておられた訳ではありませんでした。その後、富士通は半導体部門の親玉でおられる安福さんより、パソコン事業を古河さんが事業部長として受け取る事になります。この時は既に、3年近くに渡り米国のパソコン事業を知り尽くしておられたので、最適なるバトンタッチと、私には映りました。私が、1986年頃に帰国して暫くしてTOWNSのプロジェクトに参画させて頂きました。私のボスは佐藤シコウさん(富士通総研社長歴任)、落合さん(PAREX社長)の配下で 五反田でハイパーメデイア開発センタを任され、アプリ開発、特に米国でのアプリケーション開発を任されました。相棒はトムランドルフ氏でした、サンフランシスコに会社を作り本格的に米国でのアプリ開発に乗り出しました。このプロジェクトの志の高さに惚れ、特に、設計した玉井氏(瘋癲老人)
の設計思想には驚きを隠せません、何故計算機は音楽も音声も、映像も扱えないのか? これでは、コンピュータは単なる企業の高価な設備でしかない! 4~5年に1回しか仕事をしないと評判の玉井さんに出会い、私の人生もここから激変する事になったのです。

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Comments

涙流るる。
なぜ木幡老人唯之老人であるわたしが、この記事読んで泣くのか。
それには幾晩騙れども騙(ママ)り尽くせぬ歴史がある。ともかく、ふうてん老人が「四、五年に一回しか仕事せぬ鬼才」とは、はっきり明示的にわかりましたどす。

Posted by: Mu | 2004.03.24 06:12 PM

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