明日から1週間帰省します

 今日の横浜は寒いですね、しとしとと雨が降っています。明日から義母の3回忌で京都に帰省致します。1週間ブログもお休みさせて貰います。

200811kyoto_142  この季節の京都は紅葉が素晴らしいでしょうね、昨年の11月の東福寺の紅葉は最高でした。 2008年11月 紅葉の東福寺

 今回は何処で紅葉狩りをしますかね。

 MuBlogの旦那さんとの古代史探訪の旅も楽しみです、何処へ出かけるでしょうか。怪しい爺さん二人でヤマトか摂津か山城か何処かに出没する予定です。

 しかし、気まぐれな爺さん二人ですから、何処か近くの茶店で茶でもすすって終わるかもしれません。

 今日の夜は大森貝塚の傍で宴会の予定です。『ふろく』の旦那から写真の贈呈があるようですよ。私が大いに感動した『おおあくび猫』の写真だと思います。彼は、北大に通常の倍近い時間を大学で過ごし写真に打ち込んでいた青春時代があったそうです。来年は写真展を仲間と一緒にやると聞いている。

 もう一人の宴会参加者は、爺さん4人組で山登りと温泉を巡る旅の仲間のお一人です。つい最近に2週間ヒマラヤに行かれていました、土産話が楽しみです。天気が良かったそうなので、写真が楽しみです。エベレスト、ローツエ、ヒマラヤの山々の写真がみれるでしょう。

 (年賀状の仕込みが完成)

 息子のパソコンに入れておいた住所録が消されてしまい、再度、住所録データベースを完成させた。郵政省のフリーソフト『はがきデザインキット』が便利でしたね。そして、来年のデザインも完成した。写真を二枚使用し作成した。簡単だった。ほかもどりさんのように、自分で絵を描く訳でもないので直ぐに出来てしまいます。

 (今年を振り返り)

 今年は、春から学生時代に戻り早稲田の杜で考古学の勉強を始めた、一応、単位は全て取得出来ました。考古学の基本である測量実習は楽しかったです、息子の机の引き出しから、三角関数の電卓を借り受け、実習で使用した。箸墓古墳を築造する時に土師氏はどんな技術で測量をして建設したんだろうかと、思いを古代に馳せていた。

 海外旅行は2回でした、ユカタン半島のマヤ遺跡探訪の旅とイギリスのストーンヘンジ探訪の旅でした。国内旅行では、念願の鹿島神宮・香取神宮にも行けましたし、MuBlogの旦那さんとの弥次喜多古代史探訪の旅も桜井茶臼山古墳や近江の琵琶湖西岸の継体天皇ゆかりの場所の旅が出来ました。

 早稲田の考古学教室では歴博や古鬼怒湾を望む縄文遺跡の発掘現場を見学出来た。

 今年、最大の出来事は二番目の孫が出来た事ですね、もう5か月ですから写真を公開するのは禁止と、友人の哲ちゃんに言われましたので、以後、自慢の男前のジャニーズ系の孫の写真は秘蔵とします。

 と、書いていると、もう今年も終わりの雰囲気ですね。少し、早いですかね。

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神武天皇から仁徳天皇までの宮

 纏向遺跡の大型建物跡が現在注目を集めています、卑弥呼の宮殿ではないかという話題であります。日本の記紀に於いては、残念ながら卑弥呼女王について沈黙をしており、魏志倭人伝に伝える邪馬台国の卑弥呼女王のイメージである鬼道に通じる記紀記述では、第7代天皇である孝霊天皇の娘であり、三輪山の神である大物主神と結ばれたヤマトトトヒ(ビ)モモソヒメが想起されます。彼女は崇神天皇の時代に活躍し、纏向の巨大な前方後円墳である箸墓古墳に埋葬されたと伝える。

 国立歴史民俗博物館の春成教授グループが本年5月に発表した放射性炭素14法による纏向遺跡群の纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、纏向東田大塚(ひがいたおおつか)古墳の築造時期が3世紀であり、とりわけ箸墓古墳が240年~260年に築造であり魏志倭人伝に言う、邪馬台国の女王卑弥呼の墓である可能性が高いと結論した。

 歴博の春成教授グループでは放射性炭素14法と年輪年代法を組み合わせ精度の高いデータを積み上げ、古代の実年代を究明して行こうとしている。既に、弥生時代の始まり時期について従来の考古学の常識を覆す発表をしており、弥生時代が九州北部では従来より早い時期の開始し、順次、東に伝わった時間を発表し話題になっている。

 纏向遺跡の発掘は桜井市教育委員会が延々と百回を超える発掘を従来から続けており、数々の成果を発表していました。詳細な、土器編年(大和土器、庄内土器、布留土器等々の弥生時代から古墳時代にかけての土器の編年である)を行った。この相対的時間軸について、今回は実年代を当てはめる作業であったと考えられる。

 もう一つ、注目される発掘が箸墓古墳の南にある磐余地区の桜井茶臼山古墳の60年ぶりの再発掘であります。橿原考古学研究所が60年前に既に発掘しているが、再度最新の考古学により発掘調査を行い、竪穴石室に200キロの辰砂が使用されたと発表し、磐余の大王級の墓であると言う。箸墓古墳は目の前である。

 そこで、纏向に王宮を営んだ可能性のある王を探す為に、記紀より神武天皇から16代仁徳天皇までの王宮の場所と伝えられるものを記録する。

 (神武天皇から仁徳天皇までの王宮場所)

 ・第1代天皇 神武天皇 畝傍山橿原宮

 ・第2代天皇 綏靖天皇 葛城高丘宮

 ・第3代天皇 安寧天皇 片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや)

         橿原市四条町あたりか大和高田市三倉堂片塩町

 ・第4代天皇 懿徳天皇 軽曲峡(かるのまがりおのみや)

         橿原市見瀬町

 ・第5代天皇 孝昭天皇 葛城ワキ上池心宮(わきがみの いけこころのみや)

         御所市池之内

 ・第6代天皇 孝安天皇 室秋津島宮(むろあきづしまのみや)

         御所市室

 ・第7代天皇 孝霊天皇 黒田庵戸宮(くろだのいおとのみや)

         磯城郡田原本町黒田

 ・第8代天皇 孝元天皇 軽境原宮(かるのさかいはらのみや)

         橿原市見瀬町の牟佐坐神社

 ・第9代天皇 開化天皇 春日率川宮(かすがの いざかわのみや)

         奈良市本子守町の率川神社

 ・第10代天皇 崇神天皇 磯城瑞籬宮(しきの みずかきのみや)

         桜井市金屋の志貴御県坐神社、古事記=師木の水垣宮

 ・第11代天皇 垂仁天皇 纏向珠城宮(たまきのみや)

         桜井市穴師か?古事記=師木の玉垣宮

 ・第12代天皇 景行天皇 纏向日代宮(ひしろのみや)

         桜井市穴師か?

 ・第13代天皇 成務天皇 志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)

         滋賀県大津市穴太

 ・第14代天皇 仲哀天皇 穴問豊浦宮(あなとの とゆらのみや)

                 筑紫橿日宮(つくし かしいのみや)

         山口県下関市長府宮、福岡市東区香椎宮

 ・第15代天皇 応神天皇 軽島豊明宮(かるしまの とよあきらのみや)

                 難波大隅宮

         橿原市大軽町、東淀川区大隅

 ・第16代天皇 仁徳天皇 難波高津宮

         大阪市中央区

  これを見ると、第10代崇神天皇から垂仁天皇、景行天皇が纏向に宮を築いた可能性が高いと言えますね。マピオン地図

 垂仁天皇の珠城宮は地図で珠城山古墳群が候補となるでしょうか。崇神さんの瑞籬宮が水垣宮とすると纏向の今回の発掘現場の古代の地図である川に挟まれた土地にピッタリするのですがね。これからの調査で段々と解明されると思います。卑弥呼さんと考えられるヤマトトトビモモソヒメの親父の孝霊天皇が磯城であるのも気になりますね。

 葛城・磐余地方が神武さんから9代天皇まで続いているのが、7代の孝霊さんは田原本町で纏向近くが登場し、箸墓の伝説に繋がります。どうも、孝霊さん、大和10×10=100(ととびもも)襲(そ)媛(ひめ)さんが纏向地域に地盤があったようですね。そして、垂仁天皇、景行天皇の頃まで纏向地域には王都が存在したと考えます。

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箸墓古墳は卑弥呼の墓 学術論文より

20093nara_042  承前 箸墓古墳築造時期は卑弥呼の死亡時期と同じ

 承前 古墳出現の炭素14年代 感想

 2009年5月31日、日本考古学協会第75回総会が早稲田大学で行われ、歴博では放射性炭素14法と年輪年代法で確定した日本産樹木の炭素14法での測定により較正グラフを作成し纏向地域の遺物の年代を測定した。

   古墳出現の炭素14年代 

  2009531日 早稲田大学で開催された日本考古学協会主催の研究発表会で発表された、『古墳出現の炭素14年代』論文について、素人の私が理解した範囲で御紹介したいと思います。

  論文発表者: 春成秀爾(ひでじ)、小林謙一坂本稔今村峯雄尾嵜大真藤尾慎一郎西本豊弘

 (年代測定の方法)

     炭素14年代測定法に従い遺物の年代を測定する。

     測定対象の遺物は、唐古・鍵遺跡纏向石塚古墳纏向矢塚古墳纏向東田大塚古墳箸墓古墳から出土した遺物。

     日本産樹林年輪の炭素14年代の測定。較正曲線の作成。

     土器形式及び古墳年代は、遺構との関係(墓の築造中、直後、後)による先後関係と、日本産樹林年輪による位置づけによって検討。

     試料は土器付着物、木材、種子を用いる。

     土器形式認定は藤田三郎、寺沢薫、橋本輝彦が行った。

(測定結果)

     この部分は私の解説になりますが、(n)は採取資料数。CBPは核実験で空気中の放射性炭素が異常値を示す以前の時代であり、1950年を起点としてBefore Presentの炭素という意味です。1CBP1949年という意味ですね。しかし世界の地域ごと放射性炭素の精度を上げる為に各国の研究者は自国の樹木を年輪年代法で確定した材木の遺物の放射性炭素を測定し単なる物理的な減衰する放射性炭素値を補正しています、これを較正曲線と呼びます。

     唐古・鍵遺跡の大和ⅴ-1様式(3資料数)・・・・・・・・・2000¹⁴CBP(日本産樹林の年輪に合わせてみると、中期末のⅳ期は紀元前1世紀であるから、その後の紀元後1世紀頃と考える。)

     唐古・鍵遺跡の大和ⅵ-2様式(2資料数)・・・・・・・・1970¹⁴CBP

     唐古・鍵遺跡の大和ⅵ-3様式(1資料数)・・・・・・・・1960¹⁴CBP

     上記の2様式の土器の年代は日本産樹木年輪の較正曲線で補正すると紀元後1世紀後半という結果になる。

     纏向遺跡の土器付着物分析では庄内0式期(大和ⅵ-4(6資料数)・・1920¹⁴CBPであり、日本産樹木年輪の2世紀初めと考える。

     同上の庄内1式期(4資料数)・・・・・・・・・・・1920¹⁴CBP2世紀。

     同上の庄内3式期(2資料数)・・・・・・・・・・・1880¹⁴CBPでジャスト紀元後200年と考える。

     纏向石塚古墳の周濠下層の木材・種実(4資料数)・・1880¹⁴CBP3世紀前半の較正曲線の傾斜にあたる。

     纏向矢塚古墳の庄内3式の甕の煤(1資料)・・・・1820¹⁴CBP

     纏向東田大塚古墳の墳丘築造中の井戸などに廃棄され墳丘の完成より古い出土状況を示す布留0式の甕の煤(2資料数)・・・・・・・1800¹⁴CBP

     同上 共伴した種子(2資料数)・・・・・・・・・1790¹⁴CBP

     同上 築造時のカゴの破片(2資料数)・・・・・・1750¹⁴CBP3世紀前半である。

     同上 より新しい布留1式の周濠下層出土の木材(3資料数)・・・1690¹⁴CBP3世紀後半に比定されるので、布留0式はそれ以前である可能性を示す。

     箸墓古墳では、築造前の木材は縄文時代以前の年代であった。土取穴SX01遺構出土の布留0式甕の煤(8資料数)・・・・・・・・・・1800¹⁴CBP

     同上 築造直後の周濠最下層の腐食物層下の布留0式甕の煤(1資料数)及び小枝(1資料数)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1800¹⁴CBP

     同上 濠が埋没後やや時間が経過した周濠下層腐食物層堆積後(布留1式)の木材(3資料数)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1700¹⁴CBP

     唐古・鍵遺跡の布留1式甕の付着物(5資料数)・・1780¹⁴CBP

     大阪府瓜生堂遺跡の布留2式・・・・・・・・・・1790¹⁴CBP3世紀の数値であるが、布留1式を東田大塚埋没後と考えると、布留2式は3世紀後半以降となる。箸墓古墳の布留0式は、纏向石塚古墳の庄内3式と布留1式に挟みこまれる240年~260年代と捉えるのが合理的である。

(古墳出現の年代)

     箸墓古墳築造直後の布留0式土器の年代を240年~260年と推定した。

     卑弥呼が死亡した247年は、箸墓古墳の炭素14年代を較正した240年~260年代の中に入っている。247年に13歳であった台与は泰始2266年)に西晋に貢献している可能性が高いので、彼女の塚がこの年代に入る事は無い。

     この事は箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高い事を示している。箸墓の建造には10年以上の年月が必要だった、卑弥呼が生きてる間に寿陵として建造されたと考える。

  『参考 Web 寺沢薫氏 纏向地域土器編年

  関連過去記事 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

200911hokkaido_063 200911hokkaido_068

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日本の家族制度について

 最近の派遣村や介護の問題や色々と考えると、問題の根幹に核家族化という戦後の高度経済成長時代から続いた大家族制度の崩壊に問題があるように感じています。又、家父長制度という明治憲法以来の長子相続という制度は殆ど機能していない。お家存続の為に長子が跡を継ぐというだけの財産は無いし、戦国時代から続いた男系長子相続という制度はもはや崩壊している。

 日本と言う国は古来、母系社会でありました。男が女の家に通い子供が出来れば母系の家で育てるという風習です。男の子は自分の力で世間に出て生きて行かねばならないという男にとり過酷な社会でしたね。しかし、社会で頑張れば子孫は残せるし、母系の家からは大事にされた。

 例えば、古墳時代、河内王朝の時代ですが雄略天皇の奥さんに葛城円(つぶら)の娘である韓媛(からひめ)は雄略の奥さんですが、旦那を取らずに実家で焼き殺されています。当時の婚姻形態をよく示しています。女は生まれた実家が大事なのですね。この制度が崩壊したのは私のつたない知識では戦国時代以降だと思います。

 武力の時代になり長子相続という男系の世界が生まれた。これは、北方遊牧民の優れた男に一族を任せるという思想ですね。そして、農耕社会では田圃の分割により疲弊する事を防ぐために農民の間でも長子相続という制度が定着した。

 しかし、戦後の資本主義による高度経済成長で家に頼らずに男は自分で核家族を形成できるようになり、実家に頼らずに生きる道が生まれた。そうすると、私が観察する限り先祖返りをして親の面倒は娘が自然に見るようになっている。気心知れた娘の方が特に母親は安心だし、気を使わないでいい。自然な古代の母系社会が復権し始めている。

 現在の民法がどうなっているか知識は無いが、明治以来の男系中心の家族制度が未だ継続しているのではないだろうか。この際、家族制度そのものを考え直す事も必要ではないだろうかと思う。国家予算を限りなく使用しなければ老人や若者の派遣村の人間の面倒を見るのは何処か社会制度に問題があるのではないだろうか。

 古代はもっと貧乏であった筈ですよね、弱者保護というのは私のような年寄りには歓迎な話だけど、家族という単位をもっと根本的に考えないと根本的な解決は無いと思います。

(閑話休題 卑弥呼の話)

 今日も、NHKのクローズアップ現代では纏向遺跡の大型建物跡は卑弥呼の宮殿かという番組をやっていましたね。NHKでは、今年の2月からずっと纏向遺跡の発掘の取材をしているのですね、流石です。今回も、前回のニュースの時と同じく東西の軸線上に規則正しく並ぶ建物に注目していましたね。飛鳥時代からは中国の影響で宮殿は南北に並ぶ前の時代、太陽信仰か三輪山信仰ではないかと言う。

 私は、継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳の造り出し部で発掘された、4区画の建物を含む埴輪列も東西に並んでいる事に注目しています。それと、今夜の番組でも神戸大学の黒田さんが大型建物が大社造りである事に注目していました。真ん中に柱があるのですね。

 これからの線路を挟んだ東側の発掘も出来ればいいのですが、民有地なんでしょうね。何とか鳩山政権さん、大事な発掘を続ける事が出来るようにしてやって下さい。日本の国家発祥の地である可能性が高い訳ですからね。 

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強風日本晴れ

200911hokkaido_062  今日は朝から富士山が綺麗に見える日本晴れ、しかし強風である。

冬が訪れると富士が綺麗に見えるベランダは有りがたい。最高だ。

 (2012年の世界終焉)

 昨夜、世界不思議発見という番組では、今年の夏に訪問したユカタン半島のマヤ遺跡の特集でした。

 2012年のマヤ長期歴による2012年の世界終焉の話が取り上げられていた。マヤ暦については詳しく記事に書きましたので、興味ある人は読んで下さい。

 チチェン・イツァー紀行 ククルカン神殿

 (坂の上の雲)

 昨夜は11月末から放映が始まる司馬さんの『坂の上の雲』の番宣番組が放映されていた。随分とNHKでは力が入っているようですね、楽しみです。江戸幕府を倒した若者達には特に青写真があった訳ではないと、司馬さんは何処かの本で書いていました。

 地方の貧乏な下流武士のせがれ達が青雲の志で東京を目指し、坂の上の雲を掴む物語であり、新生日本の国の姿そのものを描きたいというのが司馬さんの小説の志であったと思います。

 根津の子規庵には数回訪問した事があります。建物は建て替えられていますが、当時の雰囲気は今も残っています。

 過去記事 根津・千駄木 明治の文学史跡散策記(2)

 過去記事 日本海海戦 第二戦隊動かず 坂の上の雲より

過去記事 敵前回頭 日本海(坂の上の雲より)

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赤とんぼ 秋合宿準備

200911hokkaido_057  『サーカス20SR』も持参する事にし整備を行った。

この飛行機に搭載されているエンジンは故障し大阪の小川精機さんに修理を依頼し帰還したエンジンです。

 過去記事 OS FS30エンジン修理完了

 『OS FS30』という小さな4サイクルエンジンです。パワーは無いですが、トルクがあるというエンジンです。

 千葉で飛ばした時からエンジンが不調で「草刈り機」と、わこちゃんに酷評されたエンジンですね。

 『サーカス20SR 千葉フライト 動画』

200911hokkaido_058 今日、かっちんが合宿用の重い荷物はピックアップに来てくれるので、既に整備完了した『オーラム・スポーツ』を持っていって貰い、『サーカス20SR』は手荷物で持参する。

 エンジンは昨夜のうちに、搭載完了し、先ほど燃料を入れエンジンの始動試験を完了した。

 (昨夜は新横浜で宴会だった)

昔のオンラインシステムのパッケージの開発部隊の仲間との宴会だった。

 哲ちゃんからの誘いで、出かけたが赤とんぼの会長の中村さんや、同じく赤とんぼの小川さんも同席だった。

 写真は哲ちゃんの、『道産子哲』に掲載されると思います。楽しい宴会でした。

1次会のあとカラオケで盛り上がったようでした、何時までも皆さん元気です。楽しい時間を有難う御座いました。私は1次会で切り上げ、翌日朝までに飛行機の整備が必要でしたので、酔った身体で深夜まで、エンジンを取り付けていました。(笑)

200911hokkaido_059  (夕焼け空)

 今日の夕焼けは素晴らしい。僅かに富士山が見えますね。

200911hokkaido_060

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纏向遺跡 大型建物跡発掘速報(続々編)

 昨夜はテレビ朝日でも纏向遺跡の大型建物跡発掘のニュースをしていました。CGを使用して建物の復元予想をしていました。報道で私が疑問を持ったのは、卑弥呼の邪馬台国である確定的証拠は魏の皇帝から受領した金印かその印を押した封泥が出土する事であると報道していた。

 しかし、金印や封泥が出土しても移動したと考えればそれまでです。移動不可能なものでなければ証拠にならない。邪馬台国東遷説というのがありますから。いずれにせよ、一般庶民でも関心がある話題なんですね。

 纏向を含む奈良県東南部一帯についての古墳群については今まで、多くの研究成果が存在します、以前にもメモを残していましたので再掲致します。

 ・オオヤマト古墳群と古代王権(その1)

 ・オオヤマト古墳群と古代王権(その2)

 ・卑弥呼考

 奈良県東南部地域である磐余地域、纏向地域、柳本地域、大和神社近くの大和古墳群地域の4か所の地域がヤマト王権の成立に関わった地域である事に変わりはない。

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平成天皇即位20周年

 『平成天皇御即位20周年記念に思う』

 昨夕、寒い中皇居前広場では第125代天皇である、平成天皇御臨席のもとに、御即位20周年記念を祝うイベントが開催されていた。寒風吹きすさぶ中のイベントでした。鉄橋に堤灯を持った天皇と皇后さまがお立ちになって、イベントを観ておられました。集まった人々は約3万人という事だそうです。美智子皇后さんとお二人、何時までもお元気でおられる事を祈ります。

 明治は45年、大正は15年、昭和は64年と大正天皇はお身体がそれ程健康ではなかったようですから、歴代の天皇の歴史を考えると御在位が長い時期が続いています。安定した天皇制が続いていると考えられます。しかし、かの大戦での敗戦時には危機でしたね、昭和天皇の苦労は並大抵ではなかったでしょうか、それを平成天皇は傍で見ておられたのでしょう、平和を祈念されるお気持ちが伝わります。

 今回のお言葉に中にも、過去の戦争を忘れてはいけない、風化させてはいけないと話されていた事が印象に残ります。日本という国は世界に類を見ない天皇制を綿綿と続けています、神武天皇は実在であったか別にして第10代天皇である崇神天皇からは実在であったと考える学者は多いと思いますし、血統としては第26代天皇である継体天皇からは確実に血統が続いていると言われています。

 京都から江戸に東幸されて140年程度は経過したでしょうか、平成天皇が初めて東京で即位の礼、大嘗祭がなされた天皇です、昭和天皇までは京都で行われていました。歴史上遷都宣言がなされていないので、今でも京都が都であるという人も関西方面では多いのではないでしょうか。さしずめ、『おかみは、東国に出かけたまま、まだおかえりやあらしまへん』という按配でしょうか。

 歴史家のあいだでは、現在の天皇制は藤原不比等が考えたという人がいますね、血を流さずに政権交代をするメカニズムが天皇制の特徴であるという。政権が交代する時に何か不変の軸が必要であり、それが天皇であるという。

 暗い寒空の中の即位20年記念の祝いを観ていると、皇室の色んな行事や伊勢神宮や大神神社の伝統行事が何故か夜行われる日本人の不思議さを感じていた。

 

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40年前のワンゲル時代

200911hokkaido_056  昭和43年春の大学4年生の時のワンゲル同期15名(田中清さんは越後でスキー教室の経営で参加出来ず。山小屋資金獲得事業で残念ながら参加出来ていない)。

 春合宿が九州で行われ、集結地である、えびの高原にて撮影。

 神戸大学体育会ワンダーフォーゲル部も今年創部50周年記念だそうだ。

 右から二番目がこの年の夏に穂高で滑落死亡した副将の(故)正井君です。

 過去記事 ワンゲル新人時代と別れ

 過去記事 懐かしシリーズ(1)

 過去記事 懐かしシリーズ(2)

 ワンゲル時代のアルバムは4~5冊あるが、写真が剥がせないのでデジタル化は難しい。懐かしい思い出の南アルプスや北アルプスの縦走や、日本各地の山を歩いた写真が満載である。

 今年の年末12月30日は恒例の同期の忘年会が大阪であります、楽しみにしています。

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継体天皇(ヲホド王)と百済

 最近古代史関連で面白いのは朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基の発掘調査である。5世紀末から6世紀にかけての時期に建造されたと考えられ、日韓の研究者でその解明が本格的に進んでいる。概要については以前記事を書きましたので、参考にしてください。

 参考過去記事 『栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基』

 朝鮮半島南西部はどうやら百済が高句麗に押され南下するまでは昔の馬韓の人々が活躍していたという。土器の分析や墳墓の研究から、彼らは倭国の九州の土器や墳墓形態と類似する事が判り始めている。どうやら、海の民として九州の海の民と密接な関係があったようだ。

 しかし、5世紀末から6世紀に突然に前方後円墳が築かれ始め、何か政治的な激動が起こったようですね。時代は、百済が高句麗の南下に押され都を南下させた時期であり、日本では継体天皇が河内王権に変わり新しい時代を迎えた頃にあたります。

 森浩一先生の『記紀の考古学』第18章の「越と継体・欽明王朝」に興味ある記述があります。栄山江(ヨンサンガン)の光州市の月桂洞(ウォルゲゾ)1号墳=墳丘の長さ45メータの前方後円墳、から円筒埴輪や朝顔形埴輪、石見型立物が出土し注目している。

 橿考研の小栗明彦さんの分析によれば、制作のある段階で円筒を倒立、即ち天地を逆にして更に制作を続ける「倒立技法」により制作されたものであり、日本列島では、東海と北陸とを南北に繋ぐライン上に集中しているという。日本海側では石川県小松市の矢田野(やたの)エジリ古墳やそこへ埴輪を供給した同市の二ツ梨殿様池窯址(ふたつなしとのさまいけようし)の物であると断定。

 森先生は小松が日本海により百済南部と結ぶ海のルートの一拠点ではないかと仮説をたてておられます。(小松は多分に高麗津、小松市の額見町遺跡ではオンドルを具えた住居址がある)この場所は、継体天皇の母方の祖母アナニ媛の拠点であり継体天皇の地盤のひとつである。又、東海地方は継体天皇の最初の奥さん、尾張連草香の娘である目子媛(めのこひめ)の地盤ですね。(安閑・宣化天皇を産む)

 ここからは、仮説になりますが、状況証拠から栄山江流域に突然に発生した日本独自の前方後円墳を築いた人々は継体天皇と深い関係にある人々ではないか、継体天皇の意思で起こされた政治的行動ではないかと推察できる。その理由は何だろうか、朝鮮半島南西部は古来、九州の政治勢力と深い関係が存在した、所謂、馬韓の海の民である。そこに、百済と継体天皇は連携して楔を打ったのではないかという推測です。

 筑紫の君、磐井と継体天皇の戦争は新羅・磐井連合と継体・百済連合の海のルート争奪の戦争だった可能性が類推されますね。河内王権は中国戦略として南朝を相手に活動してきたが、時代は北朝の時代に変化しており、北朝とチャネルを持たないヤマト王権は百済の力を借りて北朝とのチャネルを築こうとした可能性があります。

 百済は都を高句麗に追われ南下する、しかし、従来の馬韓・九州連合の勢力が存在し局面打開を新しい日本の政治家に求めたのではないだろうか。それが、継体天皇であると考えるとどうでしょうか。

 (継体天皇と百済の密接な関係)

 私が生まれ育ったのは枚方という場所です、正確には北河内郡大字招堤村ですね、継体さんが即位したのが樟葉宮です、隣の村ですね。枚方は淀川水系の重要な潟が存在した場所です、百済寺跡があり和邇博士の墓もあり百済と関係が深い場所です。今まで、数多く継体さんと枚方・樟葉に関する記事は書かせて頂いた。

 継体さんが樟葉から筒城宮に移されたが、そこはイワノ媛さんが拠点にされた百済の人々が多く存在した場所ですね。百済国人の怒理使臣(ヌリノミ)の拠点であり水海連(あまのむらじ)、調日佐(つきのおさ)、民首(たみのおびと)などが存在した。

 継体天皇は淀川水系から瀬戸内海航路を抑え、且つ、日本海ルートも掌握していたと考えられます。

 中国の南朝の時代が終わり、北朝の時代に激動しようとしていた時代、朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばし南下し百済の都を陥落させ南下を余儀なくさせ、新羅が台頭しようとしていた新しい時代に継体天皇は推挙され、従来の南朝一辺倒であった日本の政治を転換させた訳です。百済との深い関係は継体天皇が切り開き、欽明天皇から飛鳥王朝に引き続がれたのですね。

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